1995年3月、何でもなかったはずの日のこと

kaorun
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その日、私の父はあの日比谷線に乗っていた。いつものように一番前の車両に乗車し、会社のある霞ヶ関駅に着くとそのまま近くの改札からサッと出たため巻き込まれずに済んだ。事件のことは会社に着いてから知り、無事を家族に電話で知らせた。

もし乗る車両が違ったら、もしホームをそちらに向かって歩いていたら。あの日亡くなった方々はただの巡り合わせでしかなかった。

1995年、息子はまだ1歳。人の命を無表情で奪う悪意が怖かった。毎年この日になると、腕の中の赤ん坊の温かみとともに思い出す。

地下鉄サリン事件から29年 被害者多数の霞ケ関駅で犠牲者慰霊、駅員ら黙禱

https://www.sankei.com/article/20240320-T5NFQJYHFNJ5NEKVOWI6GSEHIY/