カーミラの名前は知っていても読んだことはなかった。ふと書店で目に付いた吸血鬼と少女という文言に魅かれて購入した。表題のカーミラの他に五編、レ・ファニュの短編がおさめられている。
ひとつ目の『シャルケン画伯』では、ある絵の来歴として若き画家シャルケンが両想いの女性を奇怪な紳士に奪い去られる話が語られる。好き合っているのが分かれるわけだが、あんまりゾクゾクはしない。このゴッドフリート・シャルケンという画家は実在の人物らしい。ここで語られる絵も存在するのだろうか。
『幽霊と接骨師』は素人だが腕のいい接骨師が、ある城の大旦那の霊に足の接骨を頼まれるという笑い話。生前酒好きだった大旦那の霊と接骨師の掛け合いが楽しい。レ・ファニュの暮らしたアイルランドでは最後に墓地に入った新参の死者が、冥界にいるほかの死者たちに水汲みをしなくてはならないという伝承があるらしく、足を折っている大旦那の霊にはそれが辛くて接骨師に治療を頼む。治療の結果というか、オチも笑い話としていい塩梅になっている。
アイルランドはダブリンの町チャペリゾットを舞台にした三つの物語の抱き合わせみたいなのが『チャペリゾットの幽霊譚』。喧嘩好きが殴り殺した相手に呪われる話、寺男が死者に追いかけられる話、ある男が街中を行進する軍隊の霊を見る話が語られる。チャペリゾットという地名は、Wikipedia曰く「イズールトのチャペル」の意味らしく、イズールトとはアーサー王伝説にでてくる人物らしい。いかにもアイルランド的地名だ。
『緑茶』は医師によるある牧師についての手紙(報告書)の形の文章で、牧師の奇妙な行動と彼の見る幻覚について書かれている。牧師はぼんやりとした赤い光に包まれた猿の幻覚を見る。それが異教や民間伝承の研究および緑茶などの神経に作用する嗜好品の摂取によるものだとされる。緑茶がでてくるのはそういった説明のなかだけで、また緑茶だから猿なのだというような因果関係も特にない。そんなあっさりした描写しかしてもらえない緑茶が、タイトルに据えられているのはなぜなのか。
カーミラの一つ前に置かれたのが『クロウル奥方の幽霊』。少女がある家の奥方の世話のために屋敷へ出される。奥方はもう九十を超えて耄碌しているが、使用人たちの助力もあってまだ元気であった。しかし少女が来てしばらくすると死んでしまう。少女はある夜、奥方の霊に会い、屋敷の隠し部屋の場所を暗示される。奥方の孫である地主が来て隠し部屋を開けると、すっかり干からびて風化した子供の死体があった。それはクロウル奥方の前の妻が残した子で、ずっと昔に行方不明になっていた。死体はつつくと崩れ落ちてしまい、孫の地主は猫の死骸だといって扉を閉じてしまう。こうしてクロウル奥方が自分の子に家を継がせるためにした罪はふたたび封印される。なかなか後味が悪くて好きな話だ。
本書の主役である『カーミラ』は、ローラという女性の少女時代に関する報告である。オーストリアのスティリア地方の屋敷に住むローラのもとに、カーミラと名乗る少女が偶然居候する。カーミラは友愛と性愛のないまぜになったような言動をローラに向ける。ローラは違和感を感じつつもカーミラを友人として受け止める(友人が抱き着きながら頬にキスをしてくるか?)。カーミラとの日々が過ぎてゆき、周辺の村々では流行病が拡がり、ローラは次第に体調を崩してゆく。父親が医者と話し合い、なにか解決策を講じたのか、ローラとともにある土地へ向かうことになる。そこはかつてカルンシュタイン家の女伯爵ミルカーラが治め、その後滅びた土地だった。姪の仇である少女ミラーカを探す将軍、吸血鬼研究家の隠者などの助力により、最後にカーミラは滅せられる。心の傷を癒す旅に出たローラは、いまだカーミラの軽やかな足音を幻聴する。
ローラとカーミラのやり取りだけで満足できる。死と愛とが融合したようなカーミラのセリフがスリリングだ。1871年発表らしいが、現代から見ても、百合エンタメとして完成された作品である。
訳者の力量がすごかった。小説家らしいのでそっちのほうも読んでみたい。