私淑する若林恵さんの新刊ということですぐに入手して一読したが、果たして考えさせられるヒントの宝庫といえる一冊で、これは何度も味読しながらしっかりと理解したいテクストなのは間違いない。
といいつつ、再読の機会がなかなか取れず、まずは幾つか特に刺激的と思った文章を書き抜いておくことで、再読の契機としたい。
Kindleで読んでいるので引用元は%で表示する。また宇野発言と若林発言の区別はしていない。
「平等化」というと、フランス革命によって突然起きたように思われがちですが、トクヴィルはそうではないと考えていました。平等化の趨勢は、むしろ地殻変動のようにヨーロッパで、約500年間にわたって起きていたのではないか。5%
「趨勢」という言葉がキーワードで、大きな時代の流れ、というような意味で使われている。歴史の特異点のように見えるフランス革命という出来事が、実は大きな流れが表出した一局面にすぎないのではないか、という指摘は興味深い。
近代社会には、それまでの人類の長い歴史にはなかった新しい概念がたくさん導入されています。例えば「人権」というものが、その最たるものです。
右派の人たちが「人権」を蛇蝎のごとく嫌って、左派を「人権教」と呼んで反発するのも、人間の本性的には自然な反応です。自分の身内や仲間の権利を大切にしたいと思うのは人間の本性ですが、その権利を自分の仲間ではない人間や、よその国の名も知らない人間に対しても等しく拡張するとなると、直感的に抵抗を感じます。44%
これほんとおっしゃるとおりで、ジョナサン・ハイトの「社会はなぜ左と右にわかれるのか 対立を超えるための道徳心理学」でも共通する指摘がなされていた。左派に分類されることの多い自分としても常に心して置かなければならない指摘と思う。
トクヴィルの論点に即して言うなら、孤独な個人がなかなか周囲とつながれない状況で、遠いところにいる個人と「推し」を通してつながっていく、それを通じて関係性を構築する経験を重ね、習慣化している点で、たしかにファンダムのほうがよほどアソシエーションにふさわしいかもしれない。47%
「没入感はコミュニティへの貢献度に比例して高まる。」これがまさにファンダムの原理なのだと思います。49%
このあたりは若林ファンダム論の面目躍如。現代のアソシエーションとして「推し活(ファンダム)」を捉え直す、というもの。確かに特徴を数え上げてみていくと、通じるところがあるようにも感じてくる。
「民主主義の作り方」の社会起業家について書かれた章で、いまどきの起業家は、戦略論はあるけれども全体論が希薄で、昔は逆にイデオロギーや全体論を語るばかりで具体的な戦略がなかったというお話があり、面白い指摘だと思いました。67%
ほんとにそうですね。とはいえどちらがマシかというと、せめて戦略性を持って取り組んでいる方がマシだというのが僕の認識。
「隙間の物語を作る」というのはいいキーワードですね。上から与えられた物語がいくつかあって、そのどれがいいでしょうという投票はちっとも面白くない。自分たちで、そこでは語られていない中間の物語、隙間の物語を作ることができる。そこに自由が生まれ、社会の変化も生まれる。78%
キーワードは「自主性」なんでしょう。「自主性」のエンジンを呼び起こす契機としてのファンダム。デモクラシーの再生のためにはそれが必要だという指摘。
あるイギリスの政治家が「政治家にとって何が大切か」と聞かれて、「自分と敵対している人と一緒にご飯を食べることだ」と答えたことがあります。政治と食事は、実は深くつながっています。84%
これね。政治の文脈だけでなく、あらゆるリーダーシップに共通する話。ただ、分かっていても難しい。でも、これができる人が強いというのは、そのとおりなんでしょう。
「シェア」というと多くの人が、ある決まった資源を分配することだと思ってしまうけれど、じつは違うとおっしゃっていました。そうではなく、「シェアというのは、みんなで持ち寄ることなんだ」と彼は言います。87%
このあたりは近内悠太「世界は贈与でできている―資本主義の「すきま」を埋める倫理学」や中島岳志「思いがけず利他」につながる議論。そして、僕自身が深く共感する部分でもある。
ケアには、「他者をケアすることで自分がケアされる」という構造があると語っています。例えば植物でもアイドルでも、何かをとても大事に思い、それをケアしていくことは、実は自分自身をケアすることになると。88%
ケア=社会福祉を巡る分析も示唆に富む。ペットのお世話をすることで救いを得る老齢者の例などが想起される。市場を通じた取引(生産者と消費者)という思考枠組みに慣れきってしまっている頭をほぐして考える必要性を感じさせられる。
ソーシャルメディアでの醜い攻防や、YoutubeやTikTokにアップされるばかばかしい動画、ユーチューバーに憧れる子どもたちは、「意志・知・リテラシー」という観点から見れば、たしかに愚かにしか見えない。ところが「実験・行為・コンピテンシー」というフレームから覗き直してみると、そこにはまったく別の意味や価値が存在しうることが見えてくる。92%
リテラシーからコンピテンシーへというのは台湾のオードリー・タンさんに若林さんがインタビューしたときに出てきたキーワードで、これからの高度デジタル化=AI時代の一つの思考フレームに育っていく可能性がある概念として注目している。