「世界の哲学者が悩んできた「老い」の正解」岡本裕一朗

先日とあるセッションで著者とご一緒する機会があり、どんなものを書かれているのかなと興味を持ってポチッとして読んでみた。

冒頭、成田悠輔「老害は集団自決せよ」発言が切り口となっている。いや、たしかに乱暴な発言ではあるけれど、この発言を単に切り捨てるのではなく、その背景を分析すると「老い」についての洞察を深められますよ、という問いの立て方に引き込まれる。

著者自身がすでに大学教員を定年退職した「老人側」にいる気安さもあってか、あえてどぎつい表現を使っている箇所もあり、読んでいてドキッとさせられる。序章で成田悠輔氏の下りで出てくる図表などその最たるもの。「スクラップ老人」てあなた・・・

そんなこんなで読み進めるうちに、古今の哲学者たちが「老い」をどう哲学してきたのかをわかりやすく纏めてくれている。

アリストテレスによれば、肉体の成熟期は35歳とされ、魂の成熟期は49歳とされています。37%

魂の成熟期49歳。。。

パスカルが「パンセ」で書いているという「人間死刑囚論」も興味深い。たしかに人間は誰しも最終的には死ぬのだから、その点においては一種の「死刑囚」と考えることもできそうだ。

ここに幾人かの人が鎖に繋がれているのを想像しよう。みな死刑を宣告されている。そのなかの何人かが毎日他の人たちの目の前で殺されていく。残った者は、自分たちの運命もその仲間たちと同じであることを悟り、悲しみと絶望とのうちに互いに顔を見合わせながら、自分の番が来るのを待っている。これが人間の状態を描いた図なのである。49%

プラトン、アリストテレス、キケロ、セネカ、大カトー、ゼノン、モンテーニュ、ニーチェ、ショーペンハウアー、サルトル、フーコー・・・

そんな中、著者はイリイチの「コンヴィヴィアリティ」という概念に希望を見出している。

社会全体において境界が溶け出して、もはや流動化した現在、「老人専用の隔離した施設」という発想そのものを、変える必要があるのではないでしょうか。具体的には、都市計画も含めた制度設計を考えなくてはなりませんが、基本的には「高齢者だけ」を隔離するのではなく、老いも若きもともに暮らせるような生き方の実現が今後の課題となります。それを考えるとき、ヒントになりそうなのが「コンヴィヴィアル」という概念です。これを提唱したのは「脱学校」を主張した先ほどのイリイチで、いずれも近代社会の終焉を見すえた発想でした。85%

このあたりは昨年読んだ孫泰蔵さんの「冒険の書」にも通じる問題意識と感じた。

それでは、学校に代わるものとして、イリイチはどのような制度を考えていたのでしょうか。それをイリイチは、「学習のネットワーク」や、「機会の網状組織」という言葉を使って表現しています。

(中略)

たとえば、新たな教育に必要なものとして、彼は次の4つの資源を挙げていました。

①学習する人が、人生のいかなるときも、学習素材にいつでもアクセスできる環境

②知識を持つ人を学習者とを結びつけるネットワーク

③学習する人同士のネットワーク

④知識を持つ教育者に、教えることを可能にするような機会を与えるネットワーク 

83%

ここで挙げられているような諸条件が、現代のインターネット環境ではほぼ整っていると言える。MOOCもあれば公開講座もあり、多種多様な分野の学習サークルも無数に存在する。恐れずそれらに飛び込む勇気と少しのコミュニケーション能力さえあれば、無限に学び続けることができるのがいまの時代だ。

最近評判の「人生後半の戦略書」アーサー・C・ブルックスも並行して読み進めていて、そちらにはより具体的に「老い」のもたらす能力の衰えと、逆に伸びる能力について詳しく述べられており、併せて読む価値があると感じた。

これらの本の視座は現在47歳の自身にとっても示唆に富むほか、一般に老齢とされる60代以上の人々の活力をどう組織や地域、活動の中に位置づけ、チームやコミュニティの力を高めることができるのかについて考える上で参考にできそうだ。

@kappamark
のちの自分のために、思考の断片を一旦メモしておく場所としてお借りしています。 外に向けて発表するために整えたりする前の素材段階のメモです。