今朝の毎日新聞の一面記事は面白かった。
「生命科学 iPS技術で若返り(その1) 細胞初期化、応用」という記事だ。
https://mainichi.jp/articles/20240408/ddm/001/040/149000c
2面にも関連記事で深堀りがなされている。
「生命科学 iPS技術で若返り(その2) 不老不死へ研究加速」
https://mainichi.jp/articles/20240408/ddm/002/040/141000c
私は活字中毒者なので、酔狂にも新聞各社の電子版を(紙版に加えて)契約しており、有料記事も読めてしまうのであった。というのは有料記事のリンクを参照していることの言い訳である。
さて、内容だが、山中伸弥教授が発見したiPS細胞技術の応用が進んでおり、いよいよ人間の若返りや、長寿命化に向けて臨床治験の段階に入ろうとしている、という記事だ。もちろん課題もあり、具体的には細胞の初期化を進めると、癌化も同時に進行してしまい、その制御にまだまだ課題がある、などと書かれていた。とはいえそれらも時間の問題で、大きな流れとしての長寿命化(技術)の発展は the inevitable = 不可避的なもの(by Kevin Kelly)なのだろう。
何人かの尊敬する知人がこの領域に注目していると聞いて、Longevity=長寿命化、というテーマに注目して見てきた。このトレンドは、AIやブロックチェーン、ロボット技術などと同じように、これから今世紀前半のメガトレンドになっていくのだろう。
そんな中で、個人的に興味深かったのが、山極寿一教授のこのコメントだった。
「老い」は本当に克服できるのか。また、そうすべきなのだろうか。
霊長類学者の山極寿一・総合地球環境学研究所長は「生物界の原則である世代交代が破れてしまう。自分が死ぬことを前提にした次世代への見返りを求めない投資ができなくなり、利他という倫理観を失いかねない。技術を応用する上での倫理を作るべきで、そのためには『人間とは何か』という哲学が必要だ」と警鐘を鳴らす。
これこれ。僕はこういう議論に興味があるのだ。そして、こういう視点からの考察は日経新聞には乏しく、毎日、朝日のような老舗新聞社の記事の真骨頂だと感じる。
「利他」は、「自分が死ぬから」生まれる価値観なのか。そうなのか?
「倫理」を作るというが、そんなことが本当に可能なのだろうか。
トップダウンで定められた「倫理」規範のようなものに果たして実効性があるのだろうか。研究者に対しては一定の統御は効くかもしれないが、技術が社会実装の段階を迎えたら、外在的な「倫理」程度で、技術活用の歯止めが効くとは到底思えないのだ。
同じことは、生成AIや、ビットコインや、戦争ロボットの実装についても言えるのかもしれない。それらの技術活用も、倫理規範は政府の統御にかかわらず、 the inevitable = 不可避的であることを僕らはもう知っているのだ。
技術革新と倫理をめぐる思考に興味がある。