08:30起床。やや体調が悪い。やや二日酔い。何とかシャワーを浴びて準備。
10:00auへ。諸々の手続きを済ませて近くのコメダでモーニングを食べた。本を読む。
ニンゲンいつの時代も考えることは同じというけれど、本当なのかな。
ここだから書いてもいいかなと思ってるけど、ずっと自分の嫌いなところがある。いつも誰かを心に置いてしまうところ。ずっと前からそう。そうでないと何もない自分が苦しくなるから。好きな人の好きなことを好きになって、そうやってずっと空っぽの自分を見ないようにして生きてきた。だから今の私も私ではない。「私らしさ」は誰かを真似した「らしさ」だから。自分から他人を排除したら、自分には何が残るの?
自分の性格を分析するとき、いずれは幼少期に辿り着く。苦しくなる。不自由なく幸せに育ててもらったのに、自分の嫌いな部分の理由を幼少期に見つけようとするから。
こういうことずっと考えてると、自分の子供が欲しいとか簡単に言えなくなってくる。年々現実が見えてきてその気持ちは強くなっている気がする。
何をするにもそうだから、ずっと0より下のところで生きているような感覚。自分なんてない。全部取っ払ったら自分がどうなるのかもなんとなくわかる。大学2.3年の苦しい時期も抜け出せたのは他人のおかげ。自分を苦しめるのも救ってくれるのもいつも他人。
誰か、同じことを考えているニンゲンはいますか?
森見登美彦「太陽の塔」読了。短い本だったけどだいぶ時間をかけて読んだ。本を読んでいる間はもうひとつの人生が心で生きる。距離を保ちながらほんのり悲しく嬉しくなる。幸せな時間だった。
映画に行こうかとも思ったけど思いとどまり1時間半散歩して帰宅。パン屋さんで愉快な仲間たちみたいな名前のパン買ったら、仲間たちが一点と...って言ってくれて嬉しかった。
今日買った本を読んでダラダラ。幸せ時間すぎる。靴も洗った。編み物もできた。