宝石の国

karenohaka
·

 フォスはやさしい子だった。脆いからだとあまり良くない頭のせいで先生ですら役目を与えてあげられなかった子が、自分で考えて行動した結果、人間を祖とする全員を救い、この星に残った人類の愚かなつけを清算したのだ。

 これは人が自ら進んで即身仏となるような自己犠牲ではないし、フォスの望んだ形ではなかったかもしれない。フォスが人間となり、壊れた金剛から役目を引き継ぐことはフォス自身が望んだことではなくエクメアの計画であり望むところだった。フォスの自分の役割がほしいと駄々をこねていた可愛らしい原初の願いは、思いもよらない形で実現された。

 フォスはあまりのままならない状況ゆえに、精神に異常をきたし、先生や同胞に攻撃性を向けたときもあった。けれど結果的に、宝石のきょうだいたちも、先生も、月人も、アドミラビリス族も、最後まで誰もフォスを嫌うことがなかったのは、私が心から安心したところであり、この世界を最後まで美しく思えた最大の理由でもある。

 月に行った宝石たちと地上に残った宝石たちがお互いを壊しあうところは無邪気だった。彼らはそれぞれに理由があってそうしたことだけれど、純粋で悪感情のない透明な彼らが同族のものを壊すことにあまり躊躇がないように見えるのは彼らの不死性にあるのだと思う。死んでいなくなることの絶望を知らず、何千何万年と生きる中でどこかぼやけてくる思考故に仲間を粉々にすることにためらいがない。その行為の根源に殺意や憎悪がないのが、人間の骨のところを預かり宝石として生まれた彼らの美しさではないだろうか。

 けれど一方で、彼らはみんなすごく人間くさいところがあった。強がりながらもひとりはさみしいと思うシンシャや大切なのに一緒にいるとボルツを疎ましく思ってしまうダイア、疑念があっても先生のことが大好きだったアンターク。最後までこれでいいのかとフォスのことを思いながらも流れに逆らうことはしなかったユークレース。みんなそれぞれ悩みがあり葛藤があった。彼らもまた人間の心をよく引き継いでいた。いいことばかりではないけれど、人間を祖とするものはやはりみんなそういった濁ったところがあるのは当然といえば当然だった。

 そんな中で、フォスは際立ってものごとの変化に敏感で、好奇心があり、彼自身を駆り立てる自分の心に純粋だったのではないだろうか。彼のもっとも素晴らしいところは、思考を停止しないところだと思う。彼はあまり頭がよくなかった時でさえ考えることをやめなかった。

 思い返すと、どうすればシンシャを孤独な夜から救い出し、もっと楽しい役目を与えられるかという難問に頭を悩ませていたときが、唯一フォスが伸び伸びしていられた平和のピークだったのかもしれない。

 物語が進むにつれ、彼の悩みはより壮大で難儀なものになっていく。自分と仲良くしてくれた仲間たちが次々と月人に破壊されて連れ去られていく現状に、フォスは対処療法に甘んじることなく原因を探ろうと思った。地上にいる仲間がこれ以上攫われないためにはどうすればいいのか。そして月人はどうして自分たちを攫うのか。その先には一体なにがあるのか。

 フォスは決して疑問を持つことをやめなかた。それどころか、絶対的な存在であった金剛に踏み込んだ質問を挫けることなく何度もした。

 先生が月人が地上に送り込んだ巨大な犬を「シロ」と親しげに呼んだところをフォスではない他の宝石が聞いたとしたら、いったいどんな反応をしただろうか。きっと一瞬は疑問に思うかもしれないけれど、先生にそのことを尋ねはしないだろうし、そのうち忘れてしまってそれまで通りの地上の平和を享受するに違いない。実際、他の宝石たちも先生がシロを簡単に手懐けるところを目の当たりにしていた。けれど、それに衝撃を受け、先生に直談判したのは下から数えたほうが早いフォスフォフィライトだけだった。

 先生に疑念を抱かないというのは争いの種を生まないとてもやさしい選択かもしれないけれど、同時に現状に変化を与えるきっかけを捨てる行為でもある。フォスフォフィライトはそんな他の宝石たちが捨ててきた小さな種を拾って、どんなふうに発芽するのか思案できるとても発展的な稀有な子だった。

 私はそんな勇敢で仲間思いの子が、壊れた先生の代わりになってしまったことを手放しで喜ぶことはできなかった。彼は宝石の仲間たちに必要とされて、愛し愛されて、壊れた宝石たちを元通りにして、誰もが傷つかない世界がほしかった。けれども彼のそんな願いは、はたして彼が生きる世界においては、必ずだれかの犠牲が必要だった。それでも悩みながらも最善を考え続ける努力を怠らない、ほんとうにやさしい子だったのだ。

 だから、地上で燃やし尽くされる寸前に、兄機がフォスの核を連れて行ってくれたことが奇跡のような救いに感じた。生まれたときから一緒にいた宝石のきょうだいたちはどこにもいないしもう会えない。けれど長い孤独の果てにやっと出会えた心ある石ころたちと共に新天地へ向かうことができたのは、地上に残り、連鎖の橋を壊す使命を請け負った祈りの加護者をこれ以上ないほど慰めたのではないだろうか。

 真に美しい合理の世界は、新天地でまさに生まれようとしている。フォスは長い時を経て、煩悩を悟りに昇華した。そして彼の核に残った、最も純粋でみずみずしい源が「あそぼ!」と笑いかけたとき、だれもがその清らかな魂の永遠の安寧を祈らずにはいられないだろう。

 この物語を最終話まで読み終えることができたことを幸福に思う。アニメで二期以降も見ることができたらいいな。

 薄荷色の小さな欠片が、なんの役目も背負わずに、みんなと仲良く遊べたらいい。そしてどこかで誰かの心をあたたかくする、ちいさな祈りになるといい。

@karenohaka
昼に眠り夜に歩く者は、精霊ではなく妖精に出会うであろう。