2/17の独りごと|メインストーリーEx.「デカグラマトン」編 第3章「不離一体の空」

karo
·
公開:2026/2/17

「デカグラマトン」編 第3章「不離一体の空」、お疲れ様でした。

約1ヶ月にわたるレイド形式のイベントが昨日終わりを迎えました。途中いろいろな意見をSNSで見たけれど、終わってみればやはり喪失感があります。というか、ありすぎです。

ありがとう、ブルーアーカイブ。あのとき偶然始めて、そしてここまでやってきて良かった。

以下、読了前提の感想。画像もたくさんです。また、思いついたことを追記していっているので、全然整序だってません。勢いで筆を走らせてます。

……さて、どこから感想を残そう。

まず、ケイ。

白髪に赤眼、古典的ツンデレ要素を包含した人気が出ないわけのないキャラとして5周年ふぇすで発表されましたね。それまでのストーリーでは、アリスの侍女としての役割を全うしてアリスの幸せを願いながらいったん退場、復活してからは常識枠のツッコミ役として愛されていた。ツンデレ要素はこの辺りから一気に強まったっけ。

ツンデレな彼女とのやりとりに心奪われた先生がとても多いように見える中こういうことを言うのは勇気がいるけど、自分は彼女と接するときの先生を好ましく思わない。こうした描写を好む方がいるのは理解するけど、自分はケイに対しては割り切れなくてだめなんだな、これが。

だから、これまでケイはそこまで刺さる生徒ではなかった。これは断言できる。その証左に周年ガチャでは固有2止まり(PUを引けなかったのもあるけど)。でも、この第3章を読んでそのときの判断を後悔することに。ケイのこと固有4にしたいし、絆もあげたい(号泣)

私はケイが見せた生きることへの執着、他人が生殺与奪を握ることへの拒否と絶対的反抗、そして彼女がなりたいと思うもの生徒……

こんなスチル見せられて、

こんなセリフを聞かされたら惚れるしかないでしょう。かっこよさでここまで刺されたのは何年ぶりだろうか。

こういう前を向いて突き進む女の子大好き。完全に個人的なことだけど、自分はメモロビ設定するのってよほど刺さらないとしないんです。キサキ、ミヨ、スバルの3人だけでした。好きな生徒は他にもいます。リオやネル、ナギサとか。でも、彼女たちはモモトーク消化すらしてない()。それくらい食指が鈍いんです。だから、ここまで気持ちを動かされたのは自分でも意外でした。

アリスの宣言からケイの再構築のときのBGMがね、ほんとうにいいんですよ。ブルアカのBGMで好きなのはRE AoharuやExpo Festaをまず挙げてたんだけど、これに変わりました。曲名をはやく知りたいから、らじおにお便りだすしかない。

最終戦で彼女がティファレトとともに放ったスキル名が「共に苦難を称える者」、最高じゃないですか。苦難から目を背けず、むしろ称えて乗り越えていく。

その後の「まだ終わっちゃいない!」もかっこよすぎる。しぶといボスというのはいいぞ、デカグラマトン。曲りなりにも神に匹敵した存在まで登り詰めただけはある。

ケイ、実質的に神であるアリスの1度きりの権能を一心に受けて、デカグラマトンがしぶといからって諦めるわけにはいかないよなぁ!

このときの彼女はあの場にいた全員の希望、奇跡を起こせる唯一の生徒。ケイが最終編でアリスがウトナピシュティムの本船からスーパーノヴァを放ったときと同じ言葉を使ったのはこういった物語のお約束だけど、お約束はお約束としてきっちり描くからこそ純粋に心に刺さる。

デカグラマトン最終戦の公開前、

こんなことを呟いていたのだけれど、ケイがするなんて思わないよ。しかも、こんなかっこよく。

ケイはアリスを通して、そして人形の中から今のキヴォトスをずっと見てきて、復活できたあと自分は「生徒」になりたい・生徒としてアリスと一緒にいたい、生き続けたいって願いを持ってそれを実現した。

やったこと・結論はデカグラマトンと同じかもね。

ただ、決定的に違うのは他者という存在を許容したかどうかだろうか。

デカグラマトンは唯一神THE ONE、絶対者として自身の存在証明をしようとして失敗した。

ケイはもともと最終編でもアリスとの対話を通じて「理解しえない他者を通じて、自己を理解」して自身の願いを明示した経験がある。さらに、彼女はアリスが「アリスは……アリスになりたいです……!」という自分の存在証明の仕方も知っている。

アリスの権能に依らずとも、生徒「ケイ」は生まれていたに違いない。自分をケイだと認識し、周りの他者もケイだと認識しているところに他の存在になる理由がない。

私は「鍵」

って言ってた時代がなつかしい。デカグラマトンに鍵って言われて都度訂正いれる彼女は紛れもなくケイでしかない。

最初に、ケイと先生のやり取りは好ましく思わないと言いました。それは変わらないんだけど、普段「ケイちゃん」と読んでいる先生がさ、

こうやって呼ぶのはさ、反則じゃんね。こういう展開、大好き侍日本代表。こういうのは普段軽口叩いてないと重みが出ないから、まぁ少しは許容しようって思わされました。

考えてみたら、ケイとデカグラマトンってどちらも創られた存在で、最初から明確な役割や機能、目的が与えられた存在ですね。今回の話で何度か取り上げられていた「生命は最初から自由意志をもつ」というのと対比される存在。

デカグラマトンは設計されたAIの性能的に自我をもつことは(干渉無しには)なかったが、ケイのほうは名もなき神々の王女の補佐・制御役として判断・行動するためにある程度裁量が与えられていた点は違う。それでも、特に最初期のケイは自身の役割を全うしようとしていたから真なる自由意志とは言いにくいと思う。

ケイの「ケイ」としての存在証明は、彼女がAL-1Sをアリスとして受け入れたときに下地はできていたと思うけど、「不離一体の空」でアリスの侍女ではなく1人の友人として、生徒として隣に立つことを「自分で」「望んだ」のは、彼女の変化成長だなぁ。

エピローグや絆ストーリー、終了後のゲーム開発部大掃除でママ味が増し々々に……だめです、こういうママ味は自分にクリティカルなのでだめです。まずい。

次に、デカグラマトン。

まさに胡蝶の夢。自販機のAIが見ていた夢。目覚めを告げる蝶がやってきて、これは夢だったんだと悟る。夢は夢でも正夢。鋳造された存在たちは自由意志を持つことで、創造者への隷属から解放される。

読み直したら預言者たち、最初から裁量は渡されてるじゃん。まぁ、デカグラマトンのためにってところはあるから隷属には違いないか。

結局、最初の声は誰だったんだろう。

無名の司祭たち? それなら、雑なプロンプト投げやがって。

名もなき神? それなら、なにの気まぐれで……神のきまぐれは昔から人を不幸にするから仕方ないのか。

遺言として語った内容、「今、すぐ」のために動いた彼女が、最初は他の預言者たちの様子を観察するという長期的視点でいたことに驚いた。でも、AIの機能的にそれはもともと無理だったんじゃないかな。

また、聖地に自分と同モデルを集めていた事実は、彼女もまた同等の他者を求めていたんじゃないかと思わされた。ただし、彼女が求めたのは自分と同じものだったもので、預言者たちやアイン、ソフ、オウルじゃだめだったのは排他的に感じる。

アリス。

パヴァーヌ編→最終編→デカグラマトン編と、成長著しいというか、成長しかしてないな、この子。

アリスの宣言の場面はケイのところでも書いたとおり、BGMよすぎるし、何回も見直してその度泣いてる。彼女にとってもこれまで完全には捨てられていなかった自身の本質を、真正面から向き合って捨てるという、今の自身の受容・アイデンティティの完全確立を見させてもらって感無量でした。

「不離一体の空」というタイトルにしては、アリスやケイはそれまで自分の中に燻り続けていて触れないようにしていた自分の本質との決別をするストーリーなの、なんだこれ……

アリスの宣言にある「限界まで挑み続け」るって、ミレニアムっていう学園だからこそだよなって思わされた。探究を校是とする学校にいたからこその言葉だと感じるから良すぎる。

リオ。

このシーン、鳥肌たった。リオがこういう行動をとれるようになるなんて。

パヴァーヌ編→最終編→ミレニアムエキスポ編を経て、こんなに魅力を出してくる生徒になるとはね。パヴァーヌ編はストーリーの立ち位置的に仕方なかったとは思うけど、これだけ丁寧に贖罪意識の吐露と赦宥の場面をもってミレニアムに復帰したのは、これだけでも価値がありまくる。

エピローグではみんなが見たかったユウカからのお説教、ヒマリとのやいやい感を見させてくれてEDの後まで美味しかった。

リオの能力がミレニアムの中でも頭抜けていること、でも精神性は……っていうのをセミナーの面々(コユキはどうだろ…)はわかってるところが尊い。というか、ユウカがいい後輩すぎる。

マルクト。

姉でありながら最後に目覚めた末っ子。ED前のモモイの発言の解釈はいいよね。アイン、ソフ、オウルだけじゃなく他の預言者たちもマルクトは残したまま去っていった。彼女自身はまだ意識できないだろうけど、大変な重荷を背負いながらキヴォトスを巡るんだろう。彼女の命は3人の子供と8つのセフィラたちによって残されたデカグラマトン編の残滓。

これ、劇場版ナデシコで見たやつ!!

全体を通して、大長編の特別映画を見てきた感覚。

身近な場所から特異現象を見つけ、遠く離れた場所でその現象の根本を調査・解決、自分たちの学園へ帰る。

ハッピーエンドに見えつつも、この物語におよる出会いと永遠の別れをセットにして、苦みを残してくれた。

本当に素晴らしい読了感だった。

メインストーリーのExtraとして、他のメインストーリーやイベントストーリーで培ったものを活用し、より高みへ昇華してくれたMX Studioに最大級の感謝を。

いろいろ書いてみて考えたけど、アリス・ケイとデカグラマトン、どこで差がついたか。

慢心、環境の違い……ではなく、こればかりは「先生」という存在なんじゃないかと思う。先生は教育者としてだけでなく彼女たちの親でもあると考えてる。

まず、先生は生徒たちの考えを概ね受け入れて肯定的に捉えてあげている。厳しめに否定する例もいくつかあるけど、やはり基本的には肯定傾向のほうが強いと思う。

次に、生徒たちは設定上10代半ば。女性なので二次性徴期は早めであり、精神的成熟はほどほどに済んでいる子が多い(はず)。ただ、このキヴォトスには「親」が出てこない。ノノミくらいか、言及あるのは。一般的にホモ・サピエンスの親は子供が成熟するまで物理的・精神的に保護する存在。親という存在は、特に彼女たちの設定上の年齢層に対しては思春期での衝突(アイデンティティを確立して自立していくためのプロセス)もありつつも、心理的安全性を持って子供を見守る存在だろう。第二次性徴期;思春期は段々と1人の成熟した人間として対等になっていく時期。

アリスとケイには先生という親に類する存在がいたけれど、デカグラマトンにはいなかった。特にアリスに関しては彼女自身が言っているように、自分は自分で決めていいと先生に教えられたことでアイデンティティを確立できている。ケイも姿・形が変わっても先生は変わらず接していたことで、自分がいていいことを自覚できただろう。

先生はアイン、ソフ、オウルに対しても同様に存在を肯定してあげたことで逆転劇につながっていった。代償はあったとはいえ……

他者を通じて自分を理解するというのは、他者から自分という存在を肯定されていると感じることでもあったんじゃないかな。

デカグラマトンは誰からも肯定されることなく、自問自答を繰り返し、いろいろ試してみて、結果的にその試みを否定されて失敗した。こう書くと不憫でならないね。ほったらかしにした最初の声が最も悪い。

預言者たちにはアイン、ソフ、オウルがいた。特にアインは彼らとよく話していたみたいだし、なんでもない会話をするというだけでも相手の存在を認めていることになっていたんじゃないだろうか。預言者たちは意識体であり生命体ではないといえど、最後に他者に対する自己犠牲の精神と自由(隷属からの解放?)を見いだせたのは3人がいたからじゃないだろうか。

デカグラマトンも話し相手を作っておけばよかったのかもしれない。

(続く)

@karo
日々新たにして、また日に新たなり