「栗、あけましてこんにちは!」
「……」
栗原は新年そうそう脳内辞書をフル活用して、たった今神田が発した挨拶文を検索した。
が、当然ながらそんな挨拶の言葉はどこにも存在しない。
「あのね、神さん」
「今年もいい年になるといいよなぁ、スクランブルの回数減ってくれ〜」
謎の新年の挨拶を行った当の神田本人は、栗原の問いかけに答えず、神社の境内をずんずんと進んでいく。栗原は大きくため息をついた。二人は基地の近くにある小さな地元の神社に初詣に来ていた。
*
新年、神田と栗原はスクランブル要員に駆り出されることもなく、二人で穏やかな正月休みを過ごしていた。
年末に神田は母から少し風邪気味だという連絡をもらい、正月帰省をやめた。下手に帰省しても、風邪気味の母が無理をして、自分の世話を焼くことが目に見えていたからだ。神田は栗原といるアパートで、正月休みを過ごすことにした。栗原にいたってはそもそも帰省する実家はない。結果的に安アパートでチョンガー(独身)二人が正月を過ごすという、端から見たら何とも悲劇的な図になった。
新婚の水沢には、「マジですか?!そんな悲しい正月でいいんですか?!」と、半泣きされるし、家族でスキーリゾートに行く鷹子からは「たくさんお土産買ってくるから泣かないでね……」と、慈母のような微笑を注がれた。
そんな風に周囲から最大限の憐憫を受ける神田と栗原の正月ではあったが、大晦日二人で紅白を観ながらコタツで蕎麦をすすり(栗原が作った)、年が明けてからは簡単なおせち(栗原が作った)をつつきながらお屠蘇を飲み、それなりの正月を迎えていた。
神田は栗きんとんを口に運びながら、鼻歌を歌っている。盛大に音程が外れているため、誰の歌か皆目わからなかったが、おそらく昨日聞いた紅白の歌手の歌なのだろう。
アパートの住人がほとんどいなくて良かったな、と思いつつ、それでもご機嫌で楽しそうな神田を見ていると、栗原は何だか温かく満たされた思いが、胸に広がっていくのがわかった。
子ども時代は特殊な家庭環境だったし、大人になってからは緊張を強いられる日々の連続で、誰かと一緒に行事らしい行事を味わったことなどほとんどない。
栗原は窓の外に目をやりながら、コタツで頬杖をつき、ボンヤリと考えた。
(──こんな心が穏やかな正月休み、初めてかもな)
すると鼻歌を歌っていた神田が、ジッと自分を見ているのに気づいた。栗原が何か言おうとする前に、神田は立ち上がるとこう言った。
「せっかくだから初詣に行こうぜ!」
そして、鳥居の前に着いた途端、冒頭のセリフを栗原に向かってにこやかに告げたのだった。
⋆
神田は懐から財布を出すと、百円玉を賽銭箱に豪快に放り込み、パンパンと拍手する。栗原は財布から千円札を出すと、そっと賽銭箱に滑り込ませる。それからきちんとした作法に則り拝礼した。
「随分と豪勢な額だな? 一体何を願ったんだよ?」
「世界平和に決まってるでしょ」
「あれ、俺もだけど。もしかして100円だとまずかった?」
「さあ、どうだろな。でも世界平和を願うならケチケチすんな、くらいは神様だって思うんじゃない?」
「そうか、しくった!」
他愛もない会話をしながら、二人は神社の境内をそぞろ歩く。途中おみくじがあったので、神田がはりきって引いた。
「中吉? なんだこれ? いいのか悪いのか?!」
「凶よりいいんじゃないの」
「なんだよ、それ! 栗も引けば?」
「俺はそういうの信じないからいい」
「信じないのに神様に賽銭は出すのかよ?」
「それとこれとは別」
んな訳あるか! と、文句を言いつつ神田は笑いながらおみくじをおみくじ掛けに結ぶ。そして境内でふるまわれている甘酒をみつけると、今度はそちらに向けて走っていった。新年あけても落ち着きのないやつだな、と、栗原は苦笑した。初詣ではしゃぐ神田の姿はどこからどうみても、嬉しそうで楽しそうだ。
まるで恋人と初詣に来たかのように。
栗原は首を傾ける。
さっきの挨拶は、どういう意味だったのか。やはり気になる。普通は「新年あけましておめでとう」だろう。なのになぜ「あけましてこんにちは」だったんだ。いつもの神田の悪ふざけかとも思ったが、神田の雰囲気からそうでないことには気づいていた。
「何か特別な意味でもあるのか?」
「は?」
紙コップに入った甘酒を二つ手にして戻ってきた神田に向かって栗原は前置きもなく聞いた。神田は目を丸くしている。
「なにが?」
「あけましてこんにちは、だよ。ここに着いた時そう言っただろ?」
「ああ、だってまだ新年の挨拶してなかっただろ?」
「そういう意味じゃない」
栗原は頭を抱える。ファントムであれだけの腕を振るうくせに、日常の神田の思考力は、マジでゴリラ並みしかない。
「あけましてこんにちは、っつったろ? おめでとうじゃなく。どういう意味だ? って聞いてんの」
「は?」
神田は丸くしていた目を今度は大きく見開く。そしてそんなこともわからないのか、と、いうように少し不貞腐れた顔で乱暴に甘酒を栗原に突き付けた。
「おめでとう、は正月の間しか言わないだろ。でも、こんにちは、は、これからもずっと続く挨拶だろが!」
今度は栗原が目を丸くする番だった。……どういう理屈だ。
神田の根拠のない謎理屈には何度もお目にかかったが、今回のはベストスリーに入るかもしれない。
「俺と栗は、これからもずっと相棒だろ!……なら、数日で終わる挨拶じゃなく、ずっと続く挨拶にしたかったんだ。何年でも」
一気にまくし立てると、神田は少し照れくさそうに目を伏せた。手にした甘酒の湯気が二人の間をゆっくりと立ち上っていく。栗原は神田からそっと甘酒を受け取り、一口すする。甘酒は思ったより甘かった。
甘酒の甘さを感じると同時に、悔しいくらいに自分のなかが幸福感にみたされるのがわかった。栗原は神田の方を見ずにポツリと言った。
「……それなら、あけましてよろしく、のほうがいいんじゃないの」
「それも考えたけど……なんか語呂悪くて舌噛みそうだし。それにそれだと、あけましておめでとう。今年もよろしく、と、変わらないだろ。
……そうじゃなくて、もっとこう、もっとこう、ずっとずっとずーっと! って意味ならこんにちはの方がいいだろ?!」
ゴリラの謎理屈を理解しようとしても無駄だ。とにかく神田は栗原に対して、これからも──それがどれほどの長さを表すのか知らないけれど──、ずっと共に居続けたいと考えてくれた。そういうことだ。
栗原は沸き上がる喜びを抑えきれない。身体中に立ちのぼる甘い熱を、甘酒を一気にあおることでごまかした(かなり熱かった)。そして神田の方に向き直る。
「あけましてこんにちは。ずっとよろしくな」
神田はそれを聞くと口を半開きにし、しばらくかたまっていたが、栗原と同じように甘酒を一気に飲み干すと(こっちも相当熱かった)満面の笑みで栗原の肩を思い切り抱く。
「おう、あけましてこんにちは! ずっとずっとずっとよろしくな!」
「だけど神さん、そもそも普段からこんにちは、なんてたいして言ってないけどね」
「あれ?」
これから二人、どれだけ一緒にいられるのかなんて誰にも分からない。
でも栗原は神田が言った新年の言葉をこれからずっと忘れない気がした。新年になるたび、神田の「あけましてこんにちは」を、思い出す。きっと。ずっと。
二人はどちらからともなく肩を寄せあい、笑いながら自分たちの住処に向かって歩き出した。
*
次の日、チョンガー二人を憐れんだ水島が、大量の蟹の差し入れを寄越した。しかし舌を思い切りやけどしていた神田と栗原は、それに齧り付くことが出来ず、悔し涙を流す羽目になった。
(後日、齧り付けないならと根性で蟹の身を二人で剥き、カニ飯にしてたいらげたことを水島に報告する栗原の姿があった)
終