noteより「様々な感情の中で」

kasst_313
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移行分。元は2023.9.12アップ。

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世間を賑わす、ジャニー喜多川氏の性加害問題。

ジャニーズ事務所の記者会見が行われて、また荒波は高くなった。

10数年、ジャニーズ事務所のグループを応援してきた自分としては複雑な、そして様々な感情を抱えて、正解を見出せないまま過ごしている。

わたしがジャニーズのカルチャーと会ったのは2009年。嵐が10周年を迎えた、あの年。 あの頃はまだ「ジャニーズ好き」というとどこか見下されるような、なんか馬鹿にされるような雰囲気があった。と思うし、実際わたしも「今更ジャニーズにハマるなんて」と思っていた。

でも、嵐は自分たちとファン、そしてマスメディアを巻き込んで大きくなった。 需要があるから供給されるのか。 供給されるから需要されるのか。 2011年の東日本大震災後のACのCMに抜擢された(もしくは、事務所が推したのかもしれない)ことで、アレが「国民的アイドル」の鎖に嵐を縛ってしまったのだと、わたしはどこか思っている。

その当時から、SMAP派と嵐派の火花は散っていて、今の事務所の状況からは想像がつかないほどその両者は交わらなかった。 本人たちの内面はまだしも、関係者側か、はたまたそれに付随するメディアか。 わからないけど、それぞれの派閥の中でしか組ませてもらえなかった。

そんな時に出たメリー氏のインタビュー記事。インタビュー中に飯島氏を呼びつけて叱るという、前代未聞の記事であった。 当時まだ精神的に幼かった嵐派のわたしは、「飯島さんが悪だ!」とまんまに乗ったわけですが、多分そうとも言い切れなかったんだろうな、と今の大人のわたしは考える。 そもそも平成になってもこれが通じるあたりが、この事務所の持ち続ける「ある異常性」の1つであり、さらに「芸能」「マスコミ」という世界が合わさった魑魅魍魎の結実であろう。

そして飯島氏の退社、SMAPの解散へと時は進む。

残念ながらわたしは嵐側の人間であったため、SMAP側の流れはよくわからない。 でも、人としてメディアとして、そんな記事を書かせて売って。 すんげえ世界だな、とは思った。

嵐をきっかけとして、他のグループも好きになり、今現在は特にNEWS、A.B.C-Z、Sexy Zone、KAT-TUN、SixTONES、そして現在Jr.のHiHi Jetsを応援している。

これらのグループは、決して順風満帆ではない。ジュニア歴が長く、デビューに10年以上かかった者。逆に1年未満でデビューした者。デビュー後に苦労を重ねてきた者。

もちろん本人たちの努力でどうこうなる問題だけでなく、それを見続けてきたファンが積み重ねた売り上げや、反響といった数字を受けてさらにステップアップしていった、という結果もある。

ただ、その数字を見て採用したのも、各企業の広報担当だったり、はたまた、マスメディアだったり。

企業やマスメディアにいち早く、わかりやすく届く指標の1つがいまだに「オリコンランキング」や「ビルボードランキング」のシングル・アルバム売上であるために、ファンは枚数を積み上げる、という一面があることを忘れるなかれ。

そしてジャニーズが脈々と受け継いでいる精神論「ジャニーズイズム」というものがある。 これこそジャニーズカルチャーに触れないとわからないものである。わたしも、この精神論を適切に表現する術をいまだに持ちえない。

だからこそ、知らない人は容易く「ジャニーズ」の名前を変えろと言う。 そのカルチャーに魅了されてしまった人は、名を奪われたらどうなるのか? でも、その名を見て苦しむ人がいるのなら、そういう人を減らすべきでもある。 とてつもなく乱暴な言い換えをすると、「野球」を「野球」でも「ベースボール」でもない言葉で明日から呼びましょう、みたいなことである。戦中か?というツッコミはさておき。 ただの、ある芸能事務所を指すだけの言葉は年を重ねるにつれて、様々な・複雑な意味を持つ言葉になっていることは確かであろう。

さて、ここまではファンとしてのわたしの意見を主に書いてきた。

性やジェンダーの話はこの20年で大きく変わったと思う。良くも悪くも。 この国は権利問題に疎い。 それは自然災害が多いが故に、常に徒党を組まねば死ぬという文化的側面から生まれた「日本人」の「集団意識」が大きく邪魔をしていると、個人的には思う。 この「無意識の同調圧力」が時には役立つが、常時あってもよろしくない。 そして、政治への無関心さ。 無関心は、いずれ自分を殺すのだが。

わたしは昔から恋愛感情がよくわからない。 それに気がついたのは数年前。 好きとか嫌いとか、そういう感情はわかる。友情と恋愛の違い、そこに差異はあるのだろうか?と思う。

別に男を好きになろうが女を好きになろうが、そこはどうでもよくて、たまたま好きになった人間が男だった、女だった。そんなもんだと思っている。

このわたしの考えが人間の生存戦略上は邪魔であることは重々承知の上である。ただ、そういう意見を持つことは罪だろうか?

わたしは福島で生まれて、今も福島に住んでいる。内陸部のために海ははるか遠い。でも、原発から50〜100キロ以内のところにいる。 「処理水」の放出が始まった。わたしは科学的根拠があるなら放出して良いと思っている人間だ。だからと言って頭ごなしに否定されるのは腹が立つ。 元々分かり合えないとわかっているのなら、「そういう人間もいる」、それがわかればいいじゃないか。 なぜ、人は自分の意見とは異なる人を滅多刺しにしてしまうのだろうか?

それは、「理解できないもの」に対する恐怖なんだろう。きっとそれも、人間が生き残るために手に入れた生存本能。 でも、あの、いつ死ぬかわからない時代よりかは文明が進んだ時代に生きている。 それなら、その恐怖を乗り越えて、少しはこちらにも耳を傾けてくれないだろうか? 耳を傾けた上で、あなたのその手に持つスマートフォンで調べて、あなたのその脳みそで考えた結論を持てばいい。 それならば、その結論がわたしの持つ結論と異なっても、わたしは否定することはしない。 ただし、こちらに刃を向けるならそれは違う。 お前がこちらに攻撃する権利があるのなら、こちらにはお前の攻撃を受けない・逃げる・逆に打ち返す、といった権利もあるのだ。

それを踏まえて、話を元に戻そう。 確かに世界を目指したり、企業が降りつつある現状では、事務所の名前を変えることは1つの手である。 それは、事務所名を見て苦しむ人への救済という道にもつながる、と思うからである。

この記事を書いていて、「あれ?意外とジャニーズって名前じゃなくなったとしても、受け入れられるんじゃないかな?」と思った自分もいる。 でも、きっと、これで一番苦しいのはタレント側だ。 人生の大半をここで過ごした。 学校の名前が変わります、というような大きさではない。会社の名前が変わります、という問題でもない。 「ジャニーズ事務所所属の」という、枕詞が変わる、己のアイデンティティを揺るがす衝撃。

我々一般人には到底わかりっこない心の奥底の部分。 でも、それを抜いても、君たちを愛しているとは伝えたい。もしも表から去ったとしても、君たちが健やかに過ごせていますようにと祈る人が1人はいるよ、と。

よくよく考えてみると、我々の知るジャニー喜多川氏というのは、タレントやマスメディアを通じてからしか知ることができない。 有名なあの写真も、ギネスブックに載ったから知れたのである。まあ、この騒動でホームページからは削除されたようだが。

実は2015年の年始に蜷川幸雄氏のラジオでジャニー喜多川氏とのトークが放送された過去がある。 ネットを探すとその書き起こしや音源があるので聞いて欲しい。 一部抜粋すると下記のようなことを述べている。 「髪の毛は坊主にしたい。坊主はすごくカッコいいよ、みんな」 「昔アイドルは背が低いほどよかったわけですよ。高いのはアイドルにならなかった」 「タレントとして育ってるけど、人間としてまだ育ってないわけですよ。僕はやりますよ絶対に。死ぬ前にちゃんとやります。若い子を築きあげなきゃ。金儲け主義でやってるっていうのではないことがハッキリわかると思いますよ」 「これから築き上げることによって、子どもたちも育っていくってことなんですよ」

この時点で83歳。 確かに人には光も影もある。 讃えられるべきところ、否定されるべきところは、きちんと分けられるべきである。 そして、もし被害者の立場だったら声を上げられるのか? その時代背景は?社会背景は? 今の社会の常識で最終的に判断されることにはなるかもしれないが、そういった、「多角的な」ものさしも使いながら、この問題について考えることが、この社会には必要なんじゃないだろうか。

そもそもの性加害は許されるものじゃない。 これについてはきちんとした落としどころに着地することを事務所と被害者の会には願いつつ、これをきっかけに我々も考えることは山ほどあるだろう?

所詮われわれ一般人には、また人ごとで終わってしまう。 今日も、学校や塾での性被害のニュースが流れていった。 男であれ、女であれ、嫌なもんは嫌だ。 しかし、子どもはそれを声をあげて言えるのか? 高尚な顔して「我々も反省せねばなりません」などと述べるマスメディア。 君たちも同じだと、わたしは思っているよ。一番腹が立ってるのはそこだよ。 なんなら、2011年の3月11日から許してないし。

再来年、ラジオは放送100年を迎える。 テレビも放送から70年を過ぎた。 電波を使ったマスメディアも1世紀近くの歴史を持つようになる。 そろそろ前時代のツケを払うのは若者だって嫌なんだよ、とも思った。

ところでこの国はジェンダー平等ランキングも、報道の自由度ランキングも低いんだっけね。 そんな国に期待したところで……感はあるし、なんならマスメディアよりも議員の方が激ヤバ思想をフツーに言ったりするのだが、ということも、置いておく。すべては、わたしが忘れないために。

ことあるごとに震災の話をしてしまうのは、わたしの今のアイデンティティに大きな影響を与えているのが震災だから。あれを通じた経験が今のわたしの考えを作っているし、まだ震災は終わっちゃいないってことをね、嫌でも知ってほしいというか、目にしてほしいんですよね。

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