退職してしばらくは人に会うのが、ちょっとつらくて。いまもそんなに好きではない。
理由は大人になって顔色をうかがうようになったというか、相手に合わせて動いてしまうので疲れてしまう。長所だと思っていたけど、他人の反応を気にしすぎるので使いすぎもよくないなと。センサーが反応しすぎているということにして自分に言い聞かせている。もともとぼやっとしているし、その場はにこにこしてあとで怒ったり落ち込んだりするので、気にしすぎるのをやめたい。センサー感度のメンテナンス中、ってとこかな。
時間はたっぷりあるので考えてみた結果、人に合わせるのは極論カモにされやすいのかも、と。自分を大事にしないと、変な人が寄ってくるというやつかもしれない。そのときはそんなことを思っていないけど、思い返せば色々と出てくるのでなんだか笑ってしまう。友達の友達みたいなひとにやたらと会う機会があったり、そういうものだと思っていたから。昔の友人(と思っていたひと、あえて友達でなく友人とする)もそうだったのかな、ともう会うこともない。急に会いたいなと呼び出されて、この商品いいんだよ使ってみて安くするからって話を聞くのは結構辛いもので。あれから連絡もないし、する気もない。
会いたい人には声をかけて、少し先でも時間を作ってもらうことにした。空いてる日あります?って押さえちゃう。ちょっと確認しますねで次の話がなければ、それで終わりにする。わすれる。
休みの合わない友人とは、有休使って会いたいかと考えてみた。会いたいなと連絡が来る割に私に休みを合わせる気がなさそうだったから、会うのをやめた。(友人の)休みに(暇だから)会いたいな、だったのかも。推測して話すのは無粋かな。それから連絡は数年ない。またどこかで会うかもしれないから、そのときによろしく。会ったらね。
相手が何を考えてるか、言ってもらわないとわからない。なんなら、言ってることが本当かもわからない(本音を隠している可能性もある)。今度飲み行きましょとか本音と建前、ってやつに付き合うのをやめた。いつにします?って聞いてみる。察しろ文化とかそんなんわかるわけないだろと今は思っていたりして。すこし楽になった。
いろんなところにマウントする人がいて、嵐が去るまで適当に調子を合わせていた。でも、それで心が削れてたのかな。そこで反抗すると余計めんどくさいことになるから、適当に流してたのもある。あとから、あれなんだったんだろ、バカにしてんの?みたいに怒ったり落ち込んだり。あんまり関わりないなら、怒ってもいいかな。Xでそんな話を見たから、結構あることなんだろうか。あなたには関係ないからほっといてほしいのに。
もう少し早く気づけば生きやすかったのだろうか。当時言われても、はて?だったかな。自分を大切にするのか、我を通すのか。ものは言いようとでも言うのかなあ。そのバランスはまだよくわからない。相手と自分、お互いを尊重できる関係でありたいなと思う。
かすみ