演劇を、複数人で戯曲を上演する営みだとする。稽古場には上演台本がある。あるいはまだないけど、アイデアのようなものがある。アイデアのようなものは、誰かが口語で話した内容だったり、そのメモのようなものだったり、企画書だったりする。〇〇をやってみる、という漠然としたものから、助成金の申請資料のフォーマットに沿って書かれた整然とした文章までいろいろだろう。一句の俳句や一枚の写真、レゴブロックの作品かもしれない。上演台本もアイデアのようなものも、パフォーマンスのタネになるものだ。それがないと、集まって演技したり何かを話し合うことは難しい。その二つをまとめて戯曲と呼んでみる。
稽古場では、上演台本あるいはアイデアのようなものを実験しながら再現する。その結果、もっと面白いやり方が見つかったら、上演台本は変更される。同じように、もっと面白いアイデアが思いついたら、アイデアのようなものも更新される。更新された戯曲をタネにして、リハーサルでもまた新しい発見が生まれる。僕が思う楽しい稽古場では、リハーサルと戯曲の間でフィードバックの循環が起きている。
僕はD地区という劇団で劇作をしている。はじめにまず、企画書(というにはお粗末なもの)を書いて、それから上演台本を書く。僕の場合、「アイデアのようなもの」は問いにしている。2022年の旗揚げ公演の「おはようまだやろう」からそうしている。「おはようまだやろう」は、学生時代に演劇部だった男が「夏の夜の夢」の上演に挑戦するがコロナでうまくいかなった、というコメディーだ。「夏の夜の夢」の三幕一場、職人たちが稽古するシーンの稽古のシーンが繰り返される。この企画書では、「夏の夜の夢」は、演劇の一番楽しいパートは稽古だという話なんじゃないか、という問いをたてていた。上演台本は稽古期間中はひたすら書き換えられた。稽古場では、パフォーマンスの内容にそれ以上の量の差分が発生し続けてた。一応、初稿の時点で「こうしたら面白いだろうな」と思うものを書いているので、イメージ通りに再現してもらったらそれはそれで愉快ではある。けど、僕が書いてみたシーンが全然思ってたのと違うニュアンスで再現された時に、めちゃめちゃ興奮した。そしてそれ以上に、再現の結果、「問い」の答えに近づいたり、あるいは棄却されそうになるとものすごく興奮した。そんな思い出があるから、企画書にあった問いも変質していたと思う。思う、というは、「おはようまだやろう」の企画書にあった問いにどんな答えが出たのか、どんな問いに変わったのか今もう覚えていないからだ。めちゃくちゃ勿体無いと思っている。
演劇を、複数人で戯曲を上演する営みだとした。それは、戯曲の無数のバージョンを作る作業でもある。僕の場合、戯曲は問いと上演台本に分けられている。稽古と上演を通じて、問いと上演台本をアップデートされる。上演台本の差分はわかりやすい。僕の場合、google docsで書いているのだが、構成が変わるくらいの変更が入るとファイルを変えるので、driveを見ればわかる。だが、アイデアのようなもの、僕の場合の「問い」の差分はわかりずらい。どうやってバージョン管理すればいいかよくわからない。昔、githubにステートメントと上演台本をまとめていたのだけども、いまいちステートメントの差分との相性がよくなかったし、そもそも他のメンバーがgithubに不慣れだったりして稽古場には馴染まなかった。というか、ステートメント的なやつは稽古序盤には参照されるけど、上演が近づくと上演台本しか見ないようになるので、終わってから稽古に参加してたメンバーと改めてステートメント的なやつについて話す機会もなかった。プロジェクト進行の管理に、そういうノウハウがあったりするんだろうか。美術の人のほうがちゃんとアーカイブとかしてるからそういうの詳しい気がする。誰かいい方法知ってたら教えてください。
今度の上演では、「人間が生きていくためには中間集団が必要じゃないか?それが陰謀論のコミュニティだったとしても」という問いにも仮説にもなってないような企画書から上演台本を書いた。すでにデバッグの結果からわかったことがあり、稽古って面白いなと思ってる。今回は上演の後に結局どうだったのかをちゃんと振り返って、次に活かすつもりです。4月2日の夜、大阪の日本橋の劇場でやるのでよかったらテストに参加してみてください。