「おかえり未来の子」再演にあたって

katakanakun
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 GWに中上健次の「枯木灘」と「鳳仙花」を読み返していて、「おかえり未来の子」は、結局父ごろしの失敗の話なんだと思った。

 「おかえり未来の子」は大体こういう話です。元々の話はgoogle docsで公開してます。

 架空の宗教団体Sの家族、山崎家の話。映画監督志望の長男、勝利が、挫折して東京から東大阪の実家に帰ってくる。父の紀夫からは、Sの活動に励むよう諌められ、母の理恵からは、妹の妙子に同僚でSの会員の朝田見合いの話があったと聞かされる。休職中の勝利には、Sの会員で朝田、妙子と同僚の加藤が訪ねてくるようになる。山崎家でのSの集会中に、家の前で会っていた勝利、足立と、妙子、朝田が鉢合わせする。勝利、妙子、朝田が向かった集会では、妙子が活動のスピーチをしたあと、山崎家を去る。翌朝、理恵と勝利がいる山崎家を加藤が訪れるが、勝利が罵倒し去る。帰ってきた妙子と勝利がリビングでタバコを吸っているところに、朝田がやってきて幕。

 新興宗教2世の問題として、親子関係に「屋根」がかかっているというのはよく指摘されている。つまり、家庭教育の中で親ー子の規律訓練の関係だけではなく、親を媒介にして教団の規律訓練が子に行われている。 従って、大人として主体化するために必要な「父殺し」(象徴的な意味)を遂行するには、単に目の前の親を相対化できるだけではなく、教団の父権的象徴を「殺さ」ないといけない。戦後に規模を拡大した新新宗教は、天皇制の代替となる「父」を発明し、大衆に提供している。統一教会の文鮮明、幸福の科学の大川隆法、そして、創価学会の池田大作だ。しかし、これを物理的に遂行するのは難しい。なぜなら三人とももう死んでいるからだ。現に山上徹也は、文鮮明と間違えて、安倍晋三を実際に殺害してしまった。このテロで山上の目論見は半分成功し、日本社会において統一教会の活動と影響力は一定制限されるようになったが、私見では、彼は本来的な意味で主体化を果たせないまま死んでいくのだと思う。 安倍晋三の暗殺事件の時、新興宗教3世の僕は、これは他人事ではない、彼との連続している何かを書かないといけない、他の人に伝えたいと思った。事件から2年経って、彼が「父」を殺せなかったことを僕は悲しく思う。

 「おかえり未来の子」に戻る。勝利は本来であれば池田大作、その代理としての自分の父親と闘争を行うべきだ。しかし、彼は実際には(妙子の許嫁の部下の)加藤にしか強権的に振る舞えず、しかもその言い争いにも勝つことができない。 むしろ、おかえり未来の子は、妙子の物語である。(「三人姉妹」のアンドレイのように)力のない長男である勝利に対して、加藤をあしらい、勝利と朝田を差し置いて、足立との享楽を選択した妙子は、ある意味アンチクライスト的な、「父」の教えに逆らう反抗者として主体化している(そもそも一夫一妻制に代表される貞操観念は、自分の嫁の子供が自分が提供した精子によるものであってほしいという「父」の欲望の表現である)。 中上健次の「枯木灘」「地の果て至上の時」の秋幸と「鳳仙花」のフサから、不能な勝利と、反逆する妙子、というイメージが湧いてきたのでした。

 ということで、6月4日に「おかえり未来の子」を上演します。よろしければぜひ。

@katakanakun
D地区という劇団で戯曲を書いています Twitter: @ktknkn