久しぶりに映画を観てきた。
最近は日記をかけていないので、自分の内なる感情・思考を言語化するのも久しぶりだ。
ネタバレ含む
想像していたものと違った。最初に感じたのは、これで終わり??という儚さ。体感では、1時間くらいしか経っていなかった。というより、もっとストーリーが二転三転すると予想していた。これまで、カンヌやアカデミー賞などと呼ばれるものとは対極にある映画ばかり見てきた。そのため、ハッピーエンド / バッドエンドのどちらか、つまり、明確な結末があると期待していた。でもこの映画はそういうものではなかった。ただただ日常を捉え、そこにある小さな幸せ?を表現していた。
どうしようもない人間のたかしが、障がい者の子供と仲良く接していたところから最も小さな幸せを感じた。本当の幸せってこれなんだろうなと。そう思ったものの、今の俺はまだ、ビッグになることを目指してしまう。それが俺の幸せ、、いや、いいのかこれで。人それぞれ幸せの形があって。だとしても、俺はまだまだ未熟なので、人と幸せを比べてしまうし、絶対的評価の幸せを探してしまう。
一緒に見た子の感想が、「主人公の表情が光によって表されてたよね。幸せそうにしてる時はずっと顔に光が当たってた。」というものだった。全く気が付かなかった。これがカンヌなのだろう。
「木漏れ日」
劇中を通して、唯一強調されたもの。
木漏れ日という言葉は英語に訳すことができない。
木々から太陽の光が漏れてくる、その光が風や雲や葉っぱの動きによって差し込み方が一瞬一瞬異なってくる。
その「一瞬一瞬のこと」とこの映画では木漏れ日のことを定義づけていた。
それから、平山の数少ないセリフの中で、唯一強調されていたものは、「今は今、今度は今度」。
この作品は、「今」にフォーカスを置いていると受けた。小さな日々の変化、一瞬一瞬を全身で味わうことが生きていくうえでの一番大事なことだというメッセージを感じた。
見てから数日経ってしまったので、ここら辺で締めくくろう。