人間には等身大の物差しが備わっている。逆に言えば、等身大の物差ししか持ち合わせていない。私はそう考える。
任意の人に会って「すごい」と感じたのならば、それはその人が自分の物差しで測れなかったからであろう。自分の経験値分・スキル分しか物差しがないため、その人がどれくらい自分と離れているのかを測ることが出来ない。そのために、雲の上の存在に感じるのだ。☁️
任意の人に会って「自分より下だ」と感じてしまうことはないだろうか?私はある。人間を上下で見ている感じが気持ち悪い。しかし、どうしてもその感情は拭えない。その感情をあらわにしているわけではない(そのつもり)ので、痛烈に批判しなければならないわけでもないが、自分のこの感情・思考がとにかく嫌いだ。だが、これは『等身大の物差し』というキーワードで考えれば当然の感覚なのではないだろうか?努力していろいろな経験を積み、自分の物差しを伸ばしてきた者が、自分より小さなものに出会う。このとき、当然、その小ささを測ることが出来てしまう。そのため、「自分より下」と認識する。このように考えると、「自分より下」という認識をしてしまうことに、特段嫌悪を感じる必要はないように思う。もちろん、その後、その人を見下した行動をするかどうかは当人に委ねられる問題であり、その意思決定において人が離れるかどうかは決まるだろう。🔺
健全な感覚を持ったまま(「自分より下」という認識をすることは悪くない。その後見下すか否か。)、もっともっと自分の物差しを大きくしたい。🌏