「おどる夫婦」感想

kawa
·
公開:2025/4/20

舞台「おどる夫婦」を観ました。

タイトルにある「夫婦」という文字を見たとき、どう受け取ったらいいか悩みそうな作品だなと思いました。

自分は特定の一人と共に生きていくことはおそらくなく、とりわけ「夫婦」という関係性で誰かと生きていくことはないんだろうなあと思っています。そのため、とある夫婦の10年を描くというこの作品を見てどう感じるのか、楽しみ半分怖さ半分でした。

以下ネタバレを含む感想。


早速最後の話をしますが、最後のダンスシーンを見たときに「ああ、自分はこんな風に誰かとおどることはないんだな」とぼんやり寂しくなりました。

ただ帰り道で色々考え直すと、作中で描かれている関係性って夫婦だけではないんですよね。親子の関係も仕事での関係も描かれています。

印象的だったのは、死を選びかけた光也を引き留めたのがヒロヒコの言葉だったこと。二人は別に夫婦ではありませんが、あのときの光也を支えてくれたのはヒロヒコでした。これは誰かと「夫婦」の形をとることがないであろう自分にとっては救いでした。

そしてもう一つ考えたのは「自立」について。

事前に読んだ聡ちゃんのインタビューから「自立」がトピックの一つであることは分かっていました。光也が何も変わらない日々について語るシーンはなんだか自分にも当てはめてしまい、自分は「自立」できているんだろうか、「自立」した上で世界とつながれているんだろうか……などと思いました。

面白いのは、この作品における「自立」は光也だけじゃないだろうなと感じたことです。

序盤だと、光也以外は「自立」しているように見えます。たとえばキヌとヒロヒコは、お互いに強く干渉し合わなかったりベタベタの恋愛結婚ではなかったり、一見すると「自立」した大人の結婚に見えます。それぞれが働き、時にぶつかりながらも生活をしています。キヌの母・朋恵も、夫が家を出て行った後に子供二人を育てあげ、料理教室や人生相談業(?)でお金を稼いでいます。

お金を稼いで生活ができている。その意味では光也以外は「自立」して見えるのです。

ただ、だんだんと、それぞれの抱える事情が浮かび上がってきます。

パワハラ環境で働いて正常な感覚を失っていくキヌは、仕事の責任を負いたくないと考えるりくのデザインを使ってデザイナーとしてのキャリアを積んでいくように。朋恵が料理教室をするのは別れた夫の言葉が大きな要因であることも、ヒロヒコは母の死は自分のせいだと思い苦しんできたことも判明します。

周囲に振り回されることなく、どうしようもないことを背負いすぎることもなく、自分の力で、自分の意思で、自分の人生を生きていく。それを「自立」と呼ぶのなら「自立」は光也以外も含めた全体のテーマだったように思います。それこそが「おどらされる」ではなく「おどる」ということなのかなと。

そう思うと、度々舞台上に登場した椅子は、それぞれの人生のようなものかもしれません。

誰かの椅子に座るでもなく、代わりに誰かに座ってもらうでもなく、他人の椅子に気を取られすぎるでもなく、ただ自分自身の椅子に座る。自分自身の人生を精一杯生きる。それがどれほど難しいことかを感じる作品でした。

もし今精一杯生きていると感じていても、未来で振り返ったときに「ああ、おどらされていたな」「先手を取ったつもりだったけどそんなことなかったな」と思うこともあるでしょう。そうであれば、おどらされずにおどるというのはやはり誰にとっても困難なことです。

しかしこの作品は「人生って難しいね」という諦めで終わったわけではないように思います。登場人物のさまざまな選択や足掻きを見ていると、その瞬間に「自分の椅子の上で自分なりにおどっているのだ!」と思えればそれで十分素晴らしいことなのかもしれないなあ……と感じました。

観劇後は、思い出してはボロボロと涙が出るけれど鬱々としているわけではないという不思議な感覚でした。

@kawa09231116
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