2024/02/15(未履修でモンスター・コールズを見て呆然)

kawa
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本日、モンスター・コールズのmy初日だった。

悩んだ末に原作も映画も見ずにいった。あらすじだけを頭に入れた状態での観劇後、渋谷のバス停で呆然としている。

未履修でいくと頭の中に描いている自分的「コナー」がおらず、勝利くんを通した「コナー」だけを見ることになる。「あのシーンをこういう風に演じるんだな」という見方ではなく、そのシーンだけが唯一として脳にやってくる。

それもあってコナーに「佐藤勝利」を重ねすぎてしまった。自分はコナーほど壮絶な経験をしたことがないので、勝利くんが各所で話している「僕の物語だと思った」に引きずられた部分もあるだろう。

「大丈夫」を繰り返すコナーに、7年間黙っていたことを語ったSONGS OF TOKYOの勝利くんを重ねた。ままならない現実への怒りや悲しみをぶちまけるコナーを見て、勝利くんにそういう時間はあるんだろうかと思った。必ずしもファンの前で語ってほしいとは思わないけれど誰かに語れていたらいいなとは思う。この作品を見ると余計に。

……とまあこんな感じで見ていると当然涙が止まらない。もう一幕から泣いていた。洗濯物に感情をぶつけているシーンが最初の泣きポイントだった記憶があります。次回は泣かずに見届けたい。

しかし勝利さんの表現する悲しみや怒りには殻をぶち破る熱量みたいなものがあるから、それを浴びると泣いてしまうんですよねえ。SHOCKもそう。きっと勝利くんより声量のある役者も滑舌のいい役者も台詞回しの上手い役者もいるだろうけれど、勝利くんには勝利くんにしかない波動があると思っているし、それを劇場で感じる瞬間が好きです。

話を作品自体に戻す。

4番目の物語はコナーの物語であり、モンスター・コールズそのものといえる。そんな4番目の物語を見た自分は5番目の物語の人間なんだろう。コナーがいろいろな物語に揺さぶらて現実をも変えていったように、自分もいろいろな物語に揺さぶられて現実の振る舞いも少なからず変わっている。その意味で私には私のモンスターがいるのかもしれない。

でもまあ前述の通り、自分はコナーほどの喪失を経験していないのでなあ……。やはり自分軸で見ている感覚は薄い。コナーは自分だと思えるほどではない。

「喪失」というと言葉が過ぎるが、直近で手を握っていたい気持ちと手を離したい気持ちがごちゃ混ぜになる経験をしたのはSexy Zone関連だった。ケンティーの卒業発表のときもそうだし、事務所の諸々のときもそう。事務所関連のほうが正直手を離したいしんどさだったな。

……また話がそれてしまった。

改めて観劇後に感じたことを整理すると、自分は感情を良い・悪いでラベリングして出してはいけないと判断したものには蓋をしがちだけれど、無理に存在を否定しないほうがいいんだろうなあと思った。もちろん無闇に外に出したり行動に移したりするのは人を傷つけかねないのでよろしくない。でも自分の中の感情を押さえつけるのもまた違う。「痛みに気づかないふりをするな」ってことでしょうか。

幕間に飲んだMagic Hourは思ったより苦くて、この作品みたいだと思った。

月末付近に2回観劇予定ですが、翌日の労働がままならなくなりそうな作品だと分かったので調整しておきたいと思います。

@kawa09231116
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