※「We're timelesz Live Tour 2024 episode 0」のネタバレを含みます
6月、timeleszのライブを見るために北海道の真駒内へ行った。
正直今年のツアーは行くのが怖かった。
4月から徐々に気持ちを整理して、timeleszを応援するぞという気持ちではいた。しかしいざ歌番組でケンティーのいないRUNを見たら動揺して大泣き。そんなこんなでライブをちゃんと見られるか不安だった。
今はグループを応援しているけれど今後どうなるかはわからない。歌番組を見たとき、自分はそういう状態なんだと自覚した。今後がわからないくせに「絶対応援する」や「一生好き」とは言いたくない。でもSexy Zoneの5人とtimeleszが今は好き。だから今は好きだというその瞬間の事実だけを握りしめて過ごしていた。
そんな宙ぶらりんな状態だったが、自担である風磨くんのブログやインタビューを読んで、今年のためだけに歌割りやフォーメーションを変えてまでやろうとしているライブをきちんと受け止めなければとも思った。
ライブに行くのは怖い。でも行きたい。見届けたい。そんな気持ちだった。
見届けたい気持ちが高まる中で迎えたチケットの一般販売。自名義は全落ちしたもののそちゃ担母のおかげで福岡は1公演ある。しかし福岡は横アリ後。my初日が横アリ後だとネタバレ回避が難しい。
自分はSexy Zone、というか風磨くんメインでセトリを組んでいるライブは強いメッセージ性を伴っていると考えているので、セトリバレも演出バレも絶対避けたい。思いを強く感じるライブだからこそ自分の頭と心で受け取りたい。
ではどうするか。横アリ前を、いや北海道を、いや初日を、一般で取るしかない。
そして取った。立見だった。立見でもなんでも初日に行けるならありがたいと思った。直前だったのであわてて飛行機とホテルを確保し、正直安くはない出費に倹約を誓った。
迎えた初日。開演前に立見の位置を決めたとき、第一印象は「意外と見えるな」だった。
しかし席に人が入って開演してみるとどうだろう。見えない……見えない! そりゃここで見ることって多分想定されてないからね!! スタンド最後列と高さ同じだからね!!!!
さらに不幸なことに目の前のスタンド最後列前にやや空席があったので、前のお姉さま方がライブ中に左右に移動するのだ。いやまあ気持ちはわかる。だって空いてるしね。自分たちスタンド最後列じゃんと思ったらそうなるよね。しかし人と人の隙間がこうもコロコロ変わるとこちらはなかなか厳しい。
立見でも場所取りさえ上手くいけばよく見えただろう。実際2日目昼は正面から見ることを諦めてスタンド席がないステージ真横を選んだ。おかげでメインステージを除けばめちゃくちゃ見えた。2日目の夜は比較的正面のスタンド最後列で全体も見られた。
それに、見えなくても「ああ好きだな」とちゃんと思えるライブだった。怖さを抱えながら行った身としてはそれが何より嬉しかった。チームtimeleszに感謝しかない。
初日の開演前のコールに参加できて嬉しかったし、この公演に最速で立ち会えてよかったと思った。感想もふせったーにいっぱい書いた。立見だと後ろを気にせずに手を上げたりタオルを回したりできるという良さも知り、立見も割といいじゃ〜んとすら思った。
その後ツアーが進むごとに、いろいろな人のライブの感想をTwitterで目にするようになった。初日に入れるとセトリバレにピリピリしなくて済んでハッピーだなあと浮かれていた。
しかしいろんな人の感想を見る中で「そんな演出あったっけ?」「モニターってそんな風になってたの?」と思うことが増えた。元々記憶はガバガバなほうだけど、こんなにも見えていなかったのかとだんだん悲しくなっていった。
そもそもライブは入れるだけありがたい。そう思えたらいいのだけど、ライブに込められたものを取りこぼさずに受け取りたいというわがままな感情ゆえに「気づけなかった」と思ったときの後悔は深い。
それは多分、ファンサにこだわりのある人がファンサをもらえなかったときのような、さらには他の人のファンサレポを見たときのような気持ちなんだと思う。ファンサ界隈(?)に詳しくないのでたとえが不適切だったらごめんなさい。
もし初日も正面から見える席だったら。メインモニターが見える席だったら。前の人と被ることのない席だったら……。もうどうしようもないことを考えるようになり、お金を積んで「いい席」に入ろうとする人の気持ちが分かりかけた。清く正しいオタクでいるというプライドがあるの絶対やらないけど。
他人の感想は他人の感想なのだから気にしなくていい、見なければいいというのもわかっている。でもライブ解釈祭りタイムラインは好きなのだ。ゆえに見るのをやめられない。フォローさせていただいている方々のブログ等はつい読んでしまう。
ただ自分もベストを尽くしたと思えたときの解釈祭りは楽しいのだが、後悔が残る中でるんるん祭りに参加するのは難しいことに今回気がついた。結局Twitterから度々ログアウトすることで気持ちを保つことにした。おふうかい落選のショックもありましたし。
後悔や羨ましさが募る中で真駒内の自分の感想を見返した。そこにはtimeleszとSexy Zoneに対する愛でいっぱいで、ドキドキワクワクして泣いたり笑ったりした時間が蘇ってきた。
たとえばメンステ下手側真横だった2日目の昼。
ブラホワで勝利くんが帽子を投げ飛ばす姿を目撃したときは「SOLITARYみたいじゃん! これって昨日もやってたのかな!?」と盛り上がった。まあたぶん初日もやっていたと思うのですが……。
rougeの風磨くんがこちら(正しくいうと下手にあるベッド)のほうに歌いながら歩いてきたときは、風磨担として最高の位置にいるんじゃないかと思った。なんなら曲の後にベッドが回収されていく様子まで見えた。
センステでのCRYも初日と違ってはっきり見えて、「コ。展」の「オペ」を思い出した。こうやって過去を捉え直して表現に繋げられる聡ちゃんはやっぱりすごい。そしてあの曲を一人で歌い切ってグッと引き込んでいったところもすごい。
ほとんど見えなかったと書いた初日にもちゃんと見えたものがある。
勇気100%のとき、隣にいた同行者が「風磨くんが見える!」と慌てて左右を変わってくれた。そこにはキラキラの笑顔の風磨くんがいて、泣きながら踊った。泣きながら踊ったって書くとなんかすごいけど普通に勇100の手振りです。
勇100を大事に思うオタクは多いだろうけれど、自分には自分の大事な文脈がある。
自分の忘れられない勇100は1stドームのとき。あのときはファン歴2年ちょっとで、ドームの夢に込められたメンバーやファンの方々の気持ちもあまりわかっていなくて、こんなにも多くの人の長年の気持ちが乗ったドームに自分がいるのは場違いなんじゃないかと思っていた。でも風磨くんが勇100途中の煽りで「Sexy Zoneと過ごしたハイライトの多い少ないはそれぞれだと思うけどこれから一緒に作っていこう」というような話をしてくれた。そのときに「ああ、新規の私も置いていかない人たちなんだ」と思ってボロボロ泣いた。
あの日にようやく自分は「Sexy Zoneのファン」になれた気がしたし、勇100は自分にとっても大事な曲になった。
そんな勇100でキラキラしている風磨くんを真正面から見られた。それまでほとんど全然見えなかったのにこの曲はちゃんと見えた。なんなら目もあった気がする。ごめんなさいそれはたぶん勘違いですけど。
それまであまり見えていなかったからこそ、この曲でキラキラした風磨くんが正面から見えたのは運命だと思った。こんな風にステージに立つ姿が好きだと思い、まさに「きみと追いかけてゆける風が好きだよ」と思えた。
そう考えるとその席にはその席にしかない体験があるのだ。自分の見えるものは自席から見えるものだけだが、逆にいうと自分の目で見たものは自席からしか見えなかったものだ。
一つの公演で自分は自分の席からの景色しか知り得ない。だからそれが唯一の最上で、つまりいつだって自席がその公演の自分にとっての神席なのだと思う。