2028/01/28(一貫した言動とは)

kawa
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「あのときのラジオが好き〜」「あのときのインタビューが好き〜」と言いがち。過去の映像やインタビューに私の思う好きな人の像(虚像)を探しがち。

でもたとえば自分が数年前の業務日報や仕事関係の発言を掘り返されたら、きっとだいぶ変わってると思う。だからほどほどにすべきだなとは思ってる。考えが全く変わらないほど一貫性のある人間はなかなかいないでしょう。

それに「この人の言動は一貫性があるな」と思っても、何における一貫性と捉えるかでいろんな見方ができてしまう。

たとえば「健康のために毎日5時に起きます」と言ってた人が6時に起きるようになったとする。その理由が「無理をしすぎたらいけないと気づいたから6時でもいいと考えるようにした。健康のためという目的は変わらない」ということであれば、健康のために生活習慣を意識しているという点は何も変わっていない。一貫している。でも「毎日5時に起きる」という点では一貫しておらず、その点を一貫性の理由だと考えていた人から見れば、過去の発言と矛盾することになる。

だから自分の思う一貫性を求めるのも、昔の発言や歌詞をひっくり返して自分の解釈や気持ちの処理に使うのも気をつけないといけないなあと思っている。自分の中で消化するだけならまだしも、公の場でわーっと書がないようにしないといけないなあと思う。今その言葉や歌に救われることがあったとしても、そのときのものはそのときとものとしても大事にしておきたい。

永遠に自分の見たい姿で見たい場所にいてくれたらそれはそれで幸せなのかもしれない。そう思うとき、鹿目凛さんの短歌を思い出す。

「変わったね」 君に言われて 「変わったよ」

変わらなければ 続けられない

この「続けられない」はいろんな見方ができる。アイドルを続けられない、表舞台に立ち続けられない、金銭的に生活を続けられない、心身共に生きることを続けられない……など。その理由だってきっと複雑で、内的なものから外的なものまであるし、一つじゃないこともあるだろう。

好きな人たちのいろんな立ち位置での人生が好きなだけ続いてほしいと思うからこそ、変わることを否定したくないなあと思う。せめて好きでいる限りは、時間がかかっても続けるための変化を咀嚼したい。私の「好き」はそういう形をとっている。

逆に一生かけても理解できないと結論づけるときが来たらそこが終わりなんだろう。そんな日が来る予感は今のところないけどね。

@kawa09231116
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