同僚が有給休暇中なのをいいことに、有給休暇を使って正月休みを引き延ばしている。今日は図書館に行き、『ジョブ理論--イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム』を読んだ。
本書のいう「ジョブ」とは何か。たとえば引っ越しをする人が「新生活が始まるまでの数日中に一通り家具を揃えたい!」と思ったとする。この「〇〇したい!」がジョブであり、こうしたジョブを意識してサービスを作りましょうという本である。同僚に話したら怒られそうな要約だが、今日の主題ではないので簡単な説明で許してほしい。
さて主題として。この本を読み終えて日比谷の街を歩きながら、ケンティーのインタビューを思い出した。
先日のインタビューでケンティーはアイドルの仕事について話していた。
「俳優は演技をする、歌手は歌を歌うのが仕事だけれど、アイドルは見ている人の憧れになるのが仕事だと思います。それは、完璧を求めるのとは違って、その人の憧れに当てはまる、あるいは憧れをつくるということです」
あー、ケンティーは私の「ジョブ」を満たす存在なんだなと思った。
まさに自分は好きな人たちを憧れの存在だと思っている。「アイドルはみんなの憧れだよね」という一般論でも「アイドルは憧れられる存在であるべきだ」というべき論でもない。ただただ私が私の好きな人たちに憧れているという個人的な話である。
たぶん自分は心のどこかで憧れの存在を欲している。しんどいときでも顔をあげて走れるように憧れの存在がほしい。努力は報われると信じさせてほしい。そんな自分の「ジョブ」を解決してくれる存在が自分にとっては「アイドル」なのだと思う。
だから「こんな風になりたい!」と思える人を好きになるし、そういう人たちには幸せでいてほしいと思う。憧れの人が報われないなんてそんな悲しい話はない。まあこれは勝手な仮託なのだけど。
この誰かの憧れであろうとする姿勢は、別のインタビューでも感じたことがある。以前ケンティーは「僕はずっとみんなの“自慢の推し”であり続けたい」という話をしていた。
「アイドルとは?」と聞かれたら僕はきっと「共同体」と答えると思う。夢は僕だけのものではないし、そこへ挑む自分の努力や向上心が誰かの力になることもあるから。僕はずっとみんなの“自慢の推し”であり続けたいと思っている。
自分はこのケンティーの光のパワーに救われていると同時に、正直大丈夫なんだろうかと思うこともある。別界隈の推しは頑張りすぎてアイドル活動に区切りをつけた人なので、疲れちゃわないんだろうかと余計な心配をしてしまう。
ただそんなときは、QLAP! 2022年12月号を思い出す。
2015年くらいまでは"オレがすべての光になる"って感覚でしたけど(笑)、今は自然体でいろいろやっている自分を見てもらって、それが誰かの希望になったらいいな、くらい。それで十分と考えるようになりましたね。肩肘張らないスタンスだからこそ、たぶん、ブログの毎日更新も5年以上続いてる。あれも頑張っているわけじゃなく、普通に自分の日常としてやってるんで。
まあこれがケンティーの本音かどうかは分からず、5年10年経ったときに「実はあのときしんどかった」という話が出てこないとも限らない。でも本音ではない建前だとも言い切れない。
であればそれが本音か建前かをうんうん考えても仕方ない。素直に憧れさせてもらおうと思う。フィロソフィーのダンスも「魔法には 自分からそう かかりにいくものでしょ」と歌っていましたし。アイドルの魔法にかかりにいっておこう。
帝国劇場、東京宝塚劇場、シアタークリエ……と誰かの憧れが詰まっていそうな日比谷の街で、そんなことを思う午後だった。