推しがいないグループも好きになれてしまうのは薄情なのだろうか……と、推しが卒業したグループの現場に行くオタクとして思う。でも新しい推しはいないんだよ〜などと言い訳のようなことも思う。
先日、ビルボード横浜で開催された日向ハルさんのお誕生日ソロライブに行った。去年のハルちゃんのライブが素晴らしかったので今年もチケットを取ったのです。
やはり今年も素晴らしかったし、涙を流したし、この人がいる限りはフィロのスのライブに行くだろうなと改めて思ったけれど、じゃあハルちゃんが推しかというとそれはなんだか違う。フィロのスは一生おとは推しである。
それでもフィロのスのライブは楽しい。黄色の代わりに緑と紫のペンライトを持つことにもおとはコールの代わりにののななを呼ぶことにも慣れた。それに慣れてよかったのかは分からない。卒コンの野音では「ペンライトの色を黄色から変えたらおとは推しとしての自分が死ぬのではないか」とさえ思ったはずなのに、まあいざ変えてみると変えてもおとは推しの心は死ななかった。うむ。
正直同じ熱量ではないと思う。熱量=使用金額&時間とするならば明らかに同じ熱量ではなくなった。けれどCDは買うしライブにも行く。距離感は変わったけれど好きだなあとは思い続けている。
ずっと同じように好き、右肩上がりに好きっていうのはなかなかないと思う。「今週は忙しくてあんまり追えなかった」レベルも含めたらまあまあ波はあるものだろう。なんか分かんないけど今日の現場は推しや自担以外を追ってしまうなんてこともあるだろう。
その波を薄情だなんだと思っていたらやってられないだろう。波は波として受け入れていきたいもんである。
0か100かではない付き合い方ができたらいいなあと思いながら、次の別れに備えている。