祝! 新空港占拠に青鬼登場!!
登場シーンの死んだ目、よかった。やはり風磨くんのお芝居は目が好きです。風磨くんは映像映えする繊細な芝居の人だと思っている。
だから風磨くんの演技に関する光一さんのお話は、なんかわかるなあと思う。
――今年もドラマや舞台、映画と芝居のお仕事が続いていますが、ご自身が感じる芝居の面白さは?
菊池:作品ごとによって全然違うところですかね。監督が10人いたら10人全員違いますし。それと、(主演した)舞台『DREAM BOYS』で演出の(堂本)光一さんに「(芝居が)ドラマっぽい」って言われたことがあったんです。舞台だともっと大きく演じなきゃいけないということなんですけど。そういうドラマや舞台、映画とか、ジャンルによる芝居の違いも面白いです。
https://www.crank-in.net/interview/114928/1
これからもいろんな役の姿が見られるといいなあ。
作品としては大病院占拠より物理的に痛そうなシーンが多く、薄目で見ておりますが、耕一の登場シーンで物理的に痛そうな事態は起きないだろうし薄目と直視を使い分けていきたいと思います。
今日は風磨くんの質問箱も大量でした。上田くんに倒された勝利くんを置いていく風磨くんとそんな風磨くんに助けを求める勝利くん、よかった。
興味深かったのは「アイドルってなんなんやろな」という質問を拾っていたこと。
わかるよ。虚像とよく言うよね。
てことはそれ以降の概念は誰が決めるんだろうね。アイドルと呼ばれる本人なのか。
応援する人なのか。
今一般的とされているアイドルという概念そのものが虚像なのかもしれない。
実はあまり風磨くんのアイドル論って聞いたことがない気がする。「ジャニーズとは?」と聞かれているのは割と見るしだいたい「ジャニーズっぽくないことをすること」というフロンティア精神あふれる回答をしているけれど「アイドルとは?」は案外聞かない気がする。
印象的だったのは10周年のQLAP!で「オレの中でアイドルはこうあるべきだ!っていう形はない」「オレがやれば、それが全部アイドルになるわけだから形は関係ないの」と言っていたこと。だから風磨くんの中に「アイドルはこう」はないんだと思っていたけれどどうなんだろう。
ちなみに私はアイドルの定義は極めて個人的なものだと思っている。虚像かもしれない他人の姿に夢を見た日々がその人を自分にとっての特別な存在(=アイドル)にしていく。そう思っている。この考えは風磨くんの「一緒に同じ夢を見てきたことが大事」というドームの挨拶に影響を受けている。
そうやって個人的な思いを重ねるファンが多ければ多いほど、世間でも「(誰かにとっての)アイドル」として認識されるんだろう。
かつ、誰かに思いを重ねられる側もその重さを認識して受け止める必要がある。これはアイドルとしての自覚と言い換えられそうだ。そういう思いの送信と受信が成り立って初めて「アイドル」は成立すると思う。送り手だけ、受け手だけでは成立しない。
だから風磨くんの回答に戻ると、応援する側だけで決まることでも応援される側だけで決まることでもないと思う。とはいえ最優先は応援される側の気持ちや判断だとも思うので、要はバランスが大事なのだけれど。
風磨くんの話ばかりになりましたが、実は今日SHOCKの過去円盤を見ました。屋良くんがライバルを演じた2013年のもの。その感想もまた書くぞ。