5人も、4人も、3人も、一人一人も

kawa
·

puzzleのMVが公開された。

乾杯の飲み物がバラバラなことも、ピースが揃わないことも、彼ららしいなあと愛おしく感じた。

でも違う部屋で違う飲み物を持っていても乾杯できる。違う部屋にいても端の風磨くんから聡ちゃんまで瓶をリレーして届けられる。違って見えることがイコール繋がれないことではない。そんなふうに感じた。

Sexy Zoneはそうやって違うまま過ごしてきたグループだと思う。それはあえてそうしてきただけでなく、幼すぎて意識を統一できなかった結果なのかもしれない。

でも私はこのSexy Zoneの、バラバラなままでいることを肯定するところが好きだ。基本的に提供曲だから彼ら自身の作詞作曲ではないけれど、そういう歌詞を書きたくなるグループなんじゃないかと思う。

そんなふうに違いがあるメンバーと過ごすとき、お互いを認め合う(ように感じられる)手っ取り早い方法の一つが距離を取ることだろう。自分に影響のないものであれば認めるも何もなく、それぞれとして距離を取って生きていける。これはこれで穏やかに生きていくための一つの選択肢だ。

でも、最初から単純に距離を取ると気がつけないことがある。多少の好き嫌いや相性にも、全然合わなかったりピッタリとハマったりすることにも、一人では気付けない。一緒にいた日々がないとそれぞれ違うってことには気がつけない。

そうやって一緒に過ごす中でお互いの違いに、自分なりの幸せのピースに気がつく。そしてそれぞれのパズルを作っていくことを選ぶ。一緒に過ごした日々があったからこそ次の道が広がっているんだと思う。

タイミングもあってついケンティーの卒業のことを重ねてしまうけれど、落ちサビの「これまでそしてこれからも それぞれのパズルを生きていく」で、これまでだってそれぞれのパズルを生きてきたんだなあと思った。それが一つの枠に収まって見えていただけで、もしかしたらいつか引きで見たら綺麗な、より大きなパズルになっているかもしれない。横を見たら案外Sexyがいる、とかね。

いや、収まって見えていただけ、というのは少し違うかな。5人で、あるいは4人で、一つの綺麗なパズルを作ろうとしていたときもあったと思う。メンバーや周りの人の努力でそのパズルの枠は広がり、強くなっていった。

でもこの枠の中でピースをはめ続けるよりも、それぞれの幸せのピースを握りしめて枠を出て、それぞれのパズルを広げていくことを選んだ/引き受けたんじゃないかしら。というかまあ、そう思うことにしている。真偽は今はわからないので。きっともう話してもいいかなあってときにしかわからないことがある。ああ、思い出されるSONGS OF TOKYO。

同時に、出ていく枠のことも最後まで愛しているんだなと思った。

最後に手を繋ぐときに空いていた場所はマリちゃんの場所だって思っていいですか? 別の部屋にいても離れたところにいても繋がってるって思っていいですか??

4人が「4人」から卒業するのも寂しいし名前が変わるのも寂しいけれど、5人が「5人」から卒業したのも同じくらい寂しかった身だ。最後の最後まで「5人」も大事にしてくれて嬉しかった。

もちろんマリちゃんの卒業後に走り続けてきた「4人」も大事にしていたと思う。4分割のカットではそれを強く感じた。あえて3人で割っている部分では「3人」へのエールも感じたし、風磨くんからもらったガーベラを最後まで持ってるケンティーを見てケンティーへのエールも感じた。

5人も、4人も、3人も、一人一人も、大切にしてくれてありがとう。

卒業が近づくにつれて楽しかったライブの思い出も薄れてしまうんじゃないかと思っていたけれど、そんな心配はしなくてよさそうだ。

Sexy Zoneのこれまでとこれからへの祝杯だと感じたあのドームから1ヶ月とちょっと。今日は新たな祝杯を見た。

@kawa09231116
🌹/🦋🕰️🧡/ex.DFP💛