おだやかではないが、しずかにバッドに入っているのは確かであるということ

kawaraberei
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 完全にバッドに入っている。以前振るった自分の加害性のぶり返し。

 福祉の仕事をしている知り合いと飲んでいたとき、その人が、考えていない、考えられないことを意味して「脳死してるから〜」という言葉を使った。その人が「脳死」という言葉をこの意味で使うということは、別の人からも聞いていて、1度目はスルーしたのだが、その席でもう一度使ったので、我慢できなくなって、「いま脳死って言葉を使いましたけど、使わない方がいいですよ。福祉の仕事をしているのだから尚更……。この席で2回使ってて、そういう言葉を使われると信頼を損なうというか……マイナスになる」みたいなことを言った。ほかに言える人はいないかもしれないから、いま自分が言うしかない、という正義感で、言ってしまったのだった。その場の空気は凍りついて、後日、知人を経由して、その人がわたしに言われて深く傷ついたと知った。

 たとえ言うにしても、こんなふうに攻撃するような言い方は間違っていた。傷つけるようにしか言えないのだったら、言わないほうがよかった。正しさは、人を傷つけるように振りかざすものではない。それに、こんなふうに、自分の発言について反省していることにも、そしてそれを文章にしていることにも、欺瞞を感じてしまう。弁明、言いわけ、目配せ、ポーズでしかない反省。そう思えてくる。

 まったく暴力性のない人なんていないし、加害したことがない人もいないということはわかっている。知らずに人を傷つけていた、なんてことは常に起こりうるのだと、知っている。あなたがなにで傷つくかは、わたしには知りようのないことだから。あなたの傷はあなたの傷で、わたしにそれが傷であるかを決めることはできないのだから。

 でも、人を傷つけたときのショックは大きい。傷つけられた人のショックは、もっと大きなものかもしれない。自分の加害性で、自分のことが嫌いになる。一生、これを背負っていくことに、耐えられなくなりそうになる。自己否定に次ぐ自己否定の繰りかえし。

 洗濯機から出した洗濯物を干す手前で動けなくなり、しずかにしばらく座っていた。とりあえず、乾かすために、干すしかない。