思い出とは地層のようなものだ。いくつもの私が折り重なって、並行して存在している。2024年の私が居る現在、どこかでは1999年の私も存在して、そのまたどこかではまた別の時代の私が生きているのだ。(因みに1999年に大した思い入れは無い)
今日とは昨日の続きで、明日とは今日の続きだと、笑顔で言えたならよかった。だけどそうもいかないから、私は地層をつくり上げる。昨日も今日も明日だって、すべては独立した時間たちなのだと。
そうすれば、悲しかったことも楽しかったこともすべて、丁度良い距離感で思い出してあげられるのになあ。頭では分かっていても心が追いつかない。だから私は今日も言い聞かせている。