【この記事は限界社会人がなんとかちいかわから生きるヒントを得ようと足掻いているだけのものであり、ファンによるきちんとしたちいかわ考察ではありません。また、ネタバレ防止なんてものはありません】
ちいかわにハマっている。
流行り物に飛びつくのがかなり遅い方なのでいつも今更感があるのだが、昭和に流行った歌だっていま聴いても感じ入るものがある。良いものはいつ触れても良いものだと思う。
なんかちいさくてかわいいやつ、ちいかわは厳しい世の中に立ち向かい、お金を稼ぎ、友だちのハチワレとお揃いのさすまたを買ったり、郎(向こうの世界の「二郎」)に通ったりしている。
その厳しさがまた桁違いで、その辺を歩いていただけで鳥に捕食され体の一部がなくなったり、ある日突然キメラ化して化け物になったりする。
ちいかわたちのしている草むしりや討伐もキツいわりには決して給料の高い仕事には見えない。
それでもちいかわはとても幸せそうなのだ。
デカすぎるトラブルに対し時に「わァッ…!」となることはあっても、心が折れて鬱になり飯が食えなくなり、人間関係を絶って引きこもり…なんてことはない。
現在進行形でメンタルが大変なことになっている社会人の私にはそれがとても不思議だったが、何周か読むうちに「私もちいかわのように生きるべきでは?」という考えに至った。ちいかわの人生(ちい生?)のポイントはおそらく3つある。
1. ちいかわには友だちがいる
ちいかわのそばには「うさぎ」と「ハチワレ」がいる。
ちいかわは友だちをとても大事にする。楽しいときは一緒に笑い、美味しいものや幸せな瞬間を分かち合う。大変なときはいつも友だちのために立ち上がる。意気地なしですぐに泣いてしまうのに。
そして友だちも(ハチワレだけではなく、うさぎもなんだかんだ)ちいかわを大切にしてくれている。
別に生きるための利害が一致したから一緒にいるわけでもないし、嘘をついて無理に相手に合わせることもない(タイムリープの回は除く)。
3人の間には打算でも建前でも依存でもない友情を感じる。
2. ちいかわはご飯を大事にしている
『ちいかわ』に出てくる料理はどれも美味しそうである(鬼カレーとかは除くが、人魚の煮付けですらも美味しそうだった)。
ちいかわは決して食費をケチらない。仕事終わりにハチワレとタコパしたり、勉強中に夜食を買いに行ったりする。腹を満たすためだけではなく、食べる楽しみのために食べている。
「そんなの当然だ」と思う人もいるだろうが、私は金と食事の価値を天秤にかけてなるべく安く飯を食おうとする人間なので、ちいかわの「食べ方」に感銘を受けたのである。
3. ちいかわは買い物を楽しんでいる
序盤にちいかわがチャームポイントのポシェットを買うシーンがある。
ポシェットを買った後、ちいかわはしばらく欲しいものがなくなったのだ。
ポシェットはちいかわにとってその場のノリでなんとなく買ったものではなく、ぼんやりと弱い感情で「欲しい」と思ったものでもなく、心から欲しかったものなのだろう。
「欲しいものを買えた喜び」も私は長らく忘れていた気がする。
社会人になってから、バイト時代とは比べ物にならないくらい高額の買い物ができるようになった。初回限定版の CD を買っても懐が痛まないし、念願のドラム式洗濯機も買った。
でも買って2日もすれば買った時の喜びを忘れた。
家の中に積もってゆく「かつて欲しかったもの」に対してはもはや何の感情も抱けず、景色になっていく。好きなもので埋めたはずの家を心地よいとも思えない。
この記事を書きながら、大人になってからも増え続けているぬいぐるみコレクションを見つめた。買った時の気持ちを思い出すと、何だかいつもよりも愛おしく感じられるような気がした。
ちいかわのように生きたい
ちいかわも時に自分の厳しい境遇に悩んでいる描写がある。
しかしそんな時も友だちを信じ、自分は未来の幸せを切り開けると信じる。
ストーリーの流れからするとおそらくちいかわは当初食べ物が湧いてくる世界でのんびり暮らしていたが、ハチワレに出会ったことでさすまたが欲しくなり、一緒に郎に行きたくなり、草むしり労働を…という流れで徐々に社会に取り込まれている。
この静かな残酷さが『ちいかわ』という作品の好きなところなのだが、きっとちいかわにとっては悪いことだけではないのだろう。
大切な人と美味しいものを食べ、喜びも困難も分かち合い、好きなものを買う。そのために仕事に行く。景色になってしまいがちな日常を大事にするちいかわは、とても素敵だ。