クーピー

kayasan
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先日友人に話した、私の小学校1年生の時の思い出がある。思い出すと切ない気持ちになる。いや切ないどころか、自分にとって嫌な思い出だった。悲しかったし、なんだか、もやもやする思い出だ。

しかし今回友人に話したり、それをきっかけに夫にも話して、自分の子どもがもしそういう体験をして相談してきたらどう対応するか話し合った。そうすると自分なりの答えがでた!過去の小学校1年生の私も救われた気がして、だいぶ気持ちが楽になったというかすっきりしたので、ここに記録する。

まずその小学校1年生のときの出来事を書く。クーピーという小学校に入ったら必ず買え与えられる、細いクレヨンのようなものにまつわる話だ。小学校に入ったばかりの私やその周りのクラスメイトは、新品のクーピーを持っていた。それを使って、絵を描く、たしか「生活」という授業のときの話。まだ小学校に入ったばかりの4月の出来事。休みの日のことを描く絵だったか、自由に描く絵なのか、ともかく一人一人思い思いに絵を描く時間があった。小学校に入って最初の席は、名前の順で決まっていて、私が小学校ではじめての隣の席の子はAちゃんという女の子だった。

Aちゃんは背が高くて身体も私より大きめで、服装もフリフリで髪も長くいつも可愛く結わえていた。はっきりものを言う感じの子で、私的には圧が強く、正直怖かった。私はちびまる子ちゃんみたいな見た目で、背も小さく、その子に比べて地味だったし、小学校に緊張して肩に力が入り、顔も硬直し固まっているような子だった。同じ保育園出身の子がクラスに少なく、しかもその数人も男の子だけで、私はひとりぼっちな気持ちでもあった。

その子がその授業の時に、ぶっきらぼうに「クーピーかして!」と言ってきたのだ。Aちゃんの机を見ると、クーピーは持ってきていて、ちゃんとあった。それは新品なのだが、何本か折れてしまっていたのは気になった。しかしちゃんと使えるものを持っているのに、何故私に貸してと言ってくるのか理解できなかったし、?マークが頭の上に浮かんだのだが、「かーしーて」と言われたら、「いーいーよ」と言うのが優しさだと思っていた私は、「....いいよ。」と小さい声で言った。

そしてAちゃんは「ありがと!」とこれまたぶっきらぼうを言って、私のピンクのクーピーを使っていた。すると突然ポキッという音がして、隣をみると私のクーピーは折れていた。「あ、ごめんおれちゃった!」と無神経な感じの言い方でAちゃんは言って、私のクーピーの箱に戻した。そして次は「このいろかりるね!」と、私の別の色のクーピーも使い始めた。私はただただ驚き、悲しみ、呆然としていた。そうこうしているうちに、私のクーピーは3色くらいAちゃんに使われ、3色とも折られてしまった。ポキッ、ポキッ、ポキッ。。。。ピンクと茶色は覚えている。あと1色はなんだっけ。。肌色だったかな。。。小学校1年生の新品のクーピーが入学後すぐに他人に折られてしまった悲しみ。私はまだ「ま!いっか!」と思えるほど人生経験を積んでなかったし、強くもなく、あっけらかんともしてなかった。とてもとても悲しかった。しかし私はAちゃんに抗議したり反撃したり、自分の気持ちを伝えるとかそういうやり方も知らなかった。誰かに相談するというやり方は知っていたが、誰かに告げ口するというのは、自分が悪者になるみたいで、そしてAちゃんに逆恨みされるような気がしてできなかった。私はAちゃんに何も言えなかったし、当時先生にも親にも言っていない。そんな話ができる友達も当時はできてなかったし、本当に悲しみとともに自分の中に封印していた。そしてAちゃんは嫌な人で仲良くはできないと思い、心のシャッターを閉じた。

この出来事のあとに、なぜAちゃんは私にクーピーを貸してと言ったのか、小学生の私は考えた。

仮説1 Aちゃんの折れていたのは何本かあったが、そのひとつはピンクのクーピーで、短かったような記憶がある。なので持ちにくくて使いにくかったので、私の物を借りた。

仮説2 Aちゃん自身、自分がクーピーを握るのが強くてよく折ってしまう性質があることを理解していて、これ以上自分のクーピーが折れてしまうのが嫌で、私の物を借りた。

仮説3 私にいじわるしたかった。

こんなところかなと思った。

この答えを知っているのは当時のAちゃんだけだけど、もちろん聞けなかった。(大人になった今も、Aちゃんと会うことは恐らくないし、会えたとしても聞かないし、聞けたとしてもAちゃんも覚えてないだろう。笑)

なので理由は迷宮入りなのだ。

まあどの理由であっても、私のクーピーは戻ってこないのだから、しかたない。人に貸すということは、こういう結果にもなりうるのだと、その辺の考えで手を打ち、もやもやしたが、諦めて自分の中では処理した。

それから小学校6年間、私は自分のクーピーを折ったことはなく、その3本だけが折れていた。6年間、クーピーの箱を開ける度に、悲しい気持ちとAちゃんのことを思い出していたが、誰にも言わなかった。

それから現代になり、先日友人と夫にこの出来事について話したというわけだ。

友人の意見の中で、興味深ったのは、相手のクーピーを折り返すというやり方もできるよね?というものだった。目には目を歯には歯をということか。それが1番Aちゃんも私の気持ちがわかるのか、、いやまてAちゃんはすでに何本かクーピーが折れていたし、新品のクーピーの1本目を他人に折られた気持ちはわからないんじゃないか、、相手は私と同じ状況ではないのだ。同じ気持ちはわかるはずない。そしてこちらもやり返すとすっきりするのかな、、いや罪悪感のほうが大きくなりそうだ、、トラブルは大きくなるばかりで、その後Aちゃんから恨まれても怖いし、なんだか私にはできない方法だなと思った。すっきりもしない。

友人の旦那さんは、折られてしまって嫌だったことを本人に伝えるのはどうか?と言っていた。当たり前のようで、なかなか大人になっても言えないよねという話になった。それが出来ると一番良いなと思った。まず言ってみてそれでもわかってもらえなかったら、反撃もありかなという意見だった。

友人との話では、この自分の気持ちを伝えるということで、少しすっきりして幼い日の自分を抱きしめてあげたいねというところで終わった。

しかしまだ私の中では、完全解決ではなかった。それで自分の気持ちを話して、わかってもらって、Aちゃんが反省してくれたり謝ってくれても、新品のクーピーは返ってこない。Aちゃんの親がでてきて、新品クーピーを買ってくれたら手に入るけど、結構なトラブルになったなという嫌な感じは残るかもしれない。まだなんとなくひっかかったまま、今度は夫に話してみた。

夫は仕返し理論については、はじめからそうする事は良くないけど、最終手段では自分を守るためや、なめられないために必要な時もあるのではと言っていた。たしかに戦争などやられっぱなしでは自国を守れないし、ある程度自衛のためにも、反撃することはあるかもしれない。

そして、目には目を歯には歯をの言葉のように、相手に同じことを経験させ、同じ気持ちを味わってもらうという話の時には、「なんか相手の気持ちになって考えるとか、自分も同じことをされたらどうかとか、子どもの時からそれ言われるとなんとなく反抗的な気持ちが湧いてくるんだよなぁ、、」と言っていて、私もその感覚わかる!!と思った。

「相手の気持ちになって考えて行動しなさい」「自分もそれされたら嫌だよね?」

とかよく大人に言われたような気がする。

その事がすんなりくる事柄と、ん?それは人によって感じ方違うんじゃないか??と思うこととあった。大多数の人はそれが嫌なことだけど、一部の人は気にしなかったり、一部の人はむしろそれを喜ぶとか、そういう事柄ってあると思う。

だからやっぱり、「私は嫌だったよ」って伝えることは大切だなと思った。その人がどう感じたか、相手は想像してもわからないこともあるのだから。

そして、新たな発見があったのは、物の貸し借りについての夫の実家の方針だ。夫は子どもの頃、友達と物の貸し借りするのは禁止されていたそうだ!貸してと言われたら貸すことが優しさと思っていた私はびっくり!

夫が友達からゲームのソフトを借りて帰った時に、「すぐに返してきなさい!!」と母親に怒られたらしい。恐らく夫の母は、人の物を壊したりなくしたりしたときに責任を負えないと考えたからそう言ったのだろう。興味深いのは、借りるのが禁止なだけでなく、貸すのも禁止ということだ。夫の母は、貸したものが壊れたりなくされたり、返ってこない時の悲しみやどうしようもない気持ちになることをわかっていてそれを防ぐために禁止していたのか、、ただ貸し借りで他の家庭と揉めるのが嫌だったのか、、すごく危機管理能力のある方だなと思った。そういえば正月に夫の実家に帰った際、義母に幼少期の夫の話を聞いたが、やんちゃでよく物を壊していたと言っていた。笑 自転車や傘はお姉さんに比べてすごく買うはめになったと言っていた。笑 それで借りるのが禁止されていたのもありそうだ。

しかし困った人がいる時や、忘れ物した友達に貸すとかもダメだったのか、、?

夫は忘れ物をしたら借りてしまっていたと言っていた。家まで持って帰るとかそういうのがNGだったようだ。たしかにゲームソフトのデータが消えたら、弁償しようがないよなぁ、、プライスレスだよな、、

うちでも貸し借りを禁止にするべきかという話し合いになった。お金の貸し借りは絶対禁止で、物はどうしようかと話し合った。なかなか決まらなかったが、夫が子どもとお風呂に入っている間に、ネットで調べて良さそうな情報があった。

まず、物には公共の物と、自分の物がある。公共の物はみんなで順番に一緒に使う。その区別を教える。そして「かーしーて」と言われたら、「いーいーよ」と答えるというのをセットで教えるのではなく、いいよ以外の答えもあると教えると良いそうだ。例えばずっとブランコに並んでいて、やっと自分の番になったところで、貸してと言われたら、「いま乗ったばかりだからちょっと待ってね」と言ってもいいのだ。相手を思いやったり大事にすることも大切だが、自分も大切にするということにつながっているなと思った。ついつい、人に貸してあげた人は優しい、独り占めしてる人はいじわると言うようなイメージがあって、「貸してあげなさい!」とか言ってしまうこともありそうだが、その子の権利だって大切にしてあげたい。自分が尊重された経験があると、人にも優しくできるようになるみたいだ。

次に、自分の物について。これで分かりやすかった例は、お友達が家に遊びに来て、色々自分の家のおもちゃで遊ぶシーンがあった時に、自分の子どもが友達におもちゃを貸してあげないというものだった。そこで親は「仲良く一緒に遊びなさい!貸してあげなさい!〇〇はそれでいつでも遊べるでしょ!」と言ったら、自分の子は大泣きしてしまい、お友達の子も呆然としてたようだ。その後、どうして貸してあげなかったか、理由を聞いてみると、大切なおもちゃだからお友達に壊されたらいやだったから、、と答えたそうだ。(この例の子どもは3歳だったが、小1の私より危機管理能力あり) その反省を活かして、次お友達が遊びに来る時には、貸してあげても良いおもちゃだけ置いておいて、貸せないおもちゃは別の場所に片付けて見えないようにしておいたそうだ。そうしたらお友達と仲良く一緒に遊べたそう。

なので、自分のものというのは、大切で壊されたくないもの、無くなったら困るものは貸さなくてもいいのだ。と私の中で結論が出た。

①公共のものは、順番にみんなで。貸してに対して、いいよ以外に、ちょっと待ってねなど他の回答があることも教える。

②自分の大切なもの、壊されたり無くされたくないものは、貸さなくても良い。

③人が困っていたり、貸してあげたいときには、それが壊れたりなくなっても良いと思えるから、貸しても良い。

めちゃくちゃ当たり前で簡単なことを書いている気がするが、私の中では、重要なことだった。

断っても良かったのだとわかったら、次は大事なものはそうしよう!と思えて、教訓となった!

この結論が出るまでは、クーピー事件について「あの時、断っていたら、私は心の狭い嫌なやつになってしまっていたのでは」と思ってしまって、どうしたら良かったのかモヤモヤしていたが、つぎはこうしよう!と思えてスッキリした!

そして息子に相談されたり、物の貸し借りについて教える際にも、自分なりの指標ができて安心した!

夫もそれがいいかもね!ということで、まとまった!

アサーションというんだっけ?相手も自分も大切にする!自己犠牲的な考えのほうに自分が考えがちなところがあると思ったから、バランスの良い人間を目指していきたいと思った!

おしまい