ChatGPTの登場で人工知能が注目を集める昨今。人工知能需要拡大に伴って半導体大手NVidiaの株価も爆上がりしているようだ。いずれ、経済面だけでなく政治面にも人工知能は積極的に活用されるだろう。そんな時代を読み解き、どんな時代に変えていきたいのかを考えるのにぴったりの一冊だった。
複雑な世界において人間の貧しい自然知能に統治を任せることは危険で無責任なので、民主主義を守るためにこそ、政治から人間を追放し、意志決定を人工知能に任せるべきだと提案する政治思想。著者はそんな思想を著者は人工知能民主主義と呼ぶ。日本では落合陽一氏がそのイデオローグに該当すると言い、ルソーを深く読み解き、人工知能民主主義の危険性を指摘する。
人工知能民主主義では、いちど属性を与えられると永遠にその属性から抜け出せない。いくら善行を重ねても「自分に似た人々」が犯罪者である限り、自分は永遠にリスク集団の一員として分類され続ける。
男であること、女であること、ヨーロッパ人であること、アジア人であること、多数派であること、少数派であること、加害者であること、被害者であること...。すべての規定から永遠に脱出できない。自分の行動は常に「自分に似た人々」に差し戻され続ける。つまり人工知能民主主義は訂正可能性がないのだ。
だからこそ人工知能民主主義は訂正可能性の哲学で補完しなければいけないと著者は主張する。その哲学の中身は何か? について知りたくなったらぜひ本書を読んでほしい。
このように、社会に積極的に関与しようとする在野の学者である著者の活動に今後とも目が離せない。
▽メモ
人工知能民主主義と監視資本主義の世界では、人間は搾取の被害者にすらなれない。抵抗もできない。(P251の一部を要約)
人間観に欠落のある政治制度によって、人々が政府にしっぺ返しをするのだとしたら国家が転覆してしまう。これは統治構造として良くない。だからこそ、人工知能民主主義は訂正可能性の哲学で補完する必要があるのだろうと思った。