ここ1ヶ月 Haskell の勉強をしていた。すごいH本や Atcoder の練習問題などを解いた。1日1時間位コツコツと。
一応単純なロジックは組めるようになり、関数型言語の何たるものかというのもなんとなく理解した。
これは面白い!多くの数学的概念が使われていてリスト内包表記やモノイド、よく聞くモナドはもちろん、圏論をそのまま概念ごと型クラスとして表現できることには驚いた。普段Typescript を使ってを仕事をしていてそれなりに宣言的(関数の組み合わせを意識して)書いているが、Haskell という言語は「そんなもん、おこちゃまやでぇ!」と言うかのごとくぶん殴ってくる感じがした。
それで、次は Haskell で何しようかと考えていた。Atcoder でもっと問題解けるようになっても楽しいだろうし、API サーバーとか作っても面白いかもと思った。勉強というより趣味的な感じでやりたいなぁと。
最初はワクワク考えてたんだけど、なんか徐々にやる気がしぼんできたのを感じた。勉強するということは楽しい、知的好奇心が満たされる。しかし、少しかじって少し理解したらその後急激にしぼむやる気。あまり続かない。
なぜかって考えたら、それは多分人の役に立つイメージが持てないからではないかと思うようになった。
近年始めた趣味的なもので続いているのはコーヒーの自家焙煎。毎週自宅で焙煎して、毎朝私と妻の分を淹れている。買うより安くなるし、何より妻と二人で「美味しいね」と言いながら飲むコーヒーは良い。ちゃんと役立っている感じがしている。
以前から趣味は役に立たなくてもいいと思っていたんだけど、そんなこと無いな。役に立ってる感じ、つまりある種の仕事として昇華できたほうがそれ自体を追求するしもっと楽しめる。長続きもするんだろうな。
そういえば最近一番ワクワクしたのは生成系AIの技術検証をしながらビジネスを考えていた時。Stable Diffusion で色々パラメータイジって画像生成させまくってた。結局私が考えていたことは実現できなさそうだということがわかって(自分の力が足りんだけかも)やめたけど。でもそれを考えるのに夢中になったな。
結論。
役に立つならやる。役に立たんならやらん。という自分を受け入れることにした。