頑張ってる、と思う時間が長いとどんどん疲弊していく人間だったな、とちょうど今実感している。
頑張るという言葉と行為はものすごく美化されていて、尊くて素晴らしくて行うべきもの、という価値観が普通だと思うのだけれど、俺は人から「頑張ってる」という話をされるとほぼ必ず「無理すんなよ」と返してしまう。
「頑張れ」という言葉がひどく重く感じるから無責任に言えないのだ。自分が言われる側になると別になんとも思わないのにね。何かを背負わされるのは構わないけど、背負わせるのは嫌だってことなんだろう。そんな気がする。
兎角、俺は「頑張っている」という状態があまりいいものだとは認識していないのだ。だから俺は極力頑張らないし、頑張っている状態が続いているなと自覚した時に理性があればきちんと休むようにしている。カフェイン抜いて寝たりノイズ聴いたりして、どっからどう見ても休息と呼べるような休息を取っている。
そんなことをしなくても動ける人には頑張れって言っていいんだろうし、そういう人は止まりたくないと思っているから止まらないために背中を押してほしいんだろうと思う。けど、もし頑張れと言う言葉をぶつけた相手が俺側の人間だったら、きっと止めるための言葉のほうがいい。たぶん。きっと。
努力していない人間を怠けていると言い捨てて蔑んでいた人間のことを思い出した。嫌な記憶だから、ここに供養して燃やしてどっかに飛ばすことにする。くわばらくわばら。
さておき、俺はわりと今頑張っていると言っても差し支えない状態だし、頑張りたいと思っている時期でもあるから、うまいことこの弱弱しい心身と付き合いながらやっていこうと思う。
お前らも無理はしないでほしい。俺は常に焦燥に駆られているから休むのが下手だけど、別にお前らは虚無と怠惰をいくら貪ったって、やりたいように生きれてればそれでいいんだから。