穴が開くほど見つめていた弓引きと同じ弦音と言われて喜んだ話

KD sect
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公開:2025/9/21

最近時間が取れなくてなかなか弓道場に行けないのだが、もうすぐ地元神社に奉納する射会が開催されるので、それの申し込みついでに無理やり道場に行って弓を引いてきた。今は、こっそり国体を目指している、などと思うことすら憚られるレベルで修練できていないが、数年前には「弓に取り憑かれたか」と地元弓道協会の親玉に言われる程度には修練に励んでいたので、ろくたら引いていない今、たまに行ってもそこそこ引ける。あの頃、週に8回は道場に通っていた。やっていてよかったと思う。

この日、耳の良いお姉さんが道場にいた。いつかどこかに書いた記憶がある。弦音や的中音で何かの良し悪しがわかる、敏感体質のお姉さんだ。体調が不安定だが、道場に来ると神社にいるような謎の効果で体調が安定するのだそうだ。彼女はわたしの後から弓を引き始めたが、わたしが怪我で運動全般をやめてサボりにサボっている間にわたしを軽く追い越してしまった。

このお姉さんの亡くなったお母様がバッキバキの霊能体質だったそうで、私はそうでもないんだけど、と言い乍らも様々を感じ取っている様子だ。耳で様々を感知していると言っていた。

このお姉さんが言うには、いつかの内輪での射会の時、看的(的中を看る係)を務めることになり、その時に場所の都合で的が見えず、音で判断するしかなかったとのことで、音に集中すると何かがわかってしまうことに気づいたのだそうだ。

なぜわかるか。そんなのわかんないよね。なぜそうだとわかるのかはわからないけれどわかる、ってことあるでしょ。ない?いやあるでしょ。あるある。

それで、このお姉さんはそれからというもの音に注目を向けることをやっているようで、的中音にも良し悪しがあると。だがこのお姉さんは的中音より弦音に注目していて、道場の皆さんの弦音を聞きまくって、この人はよい!という人が少数いるのだそうだ。現在この道場に出入りしている人の中で、よい弦音の人を2人教えてもらった。そのうちの一人はO山さんという弓引きだ。

それでお姉さん、範士八段の師範に、O山さんの弦音とその他の方の弦音の違いについて質問してみたところ、「おれにはわからん」と言われたそうだ。何が違うのか、そもそも音の違いがわからない、というニュアンスだったらしい。お姉さん、私は何を聞いているんだろう?何を「よい」と感じているんだろう?と言っていた。それはわたしも知りたい。何をどう判断しているのだろう。

O山さんは、わたしが初心者弓道教室に通い始めてからずーーーーーーーっと目で追っていた人だ。当時は指導されていたわけではなく、隣の射場で修練されていて、初心者教室終了後の居残り練習が許された時に初めて見たのだが、弓道をろくにわかっていない当時(今もあやしい)、「この人は!!!」と思ってもうホントにずーーーーーーーっと見ていた。目が離せなかった。「こいつ俺のこと好きじゃね?」と思わせてしまう程には見たと思う。変な雰囲気になってごめんなさい。

O山さんの射はとにかく見てしまう。O山さんが的前に入る気配があると、わたしは弓を置き、座して看取り稽古の姿勢をとった。一挙手一投足を見逃すまいとしてとにかく見た。あの時、O山さんの射を自分で体現したいという発想はなく、何がどうだというのがわからないのに、とにかくよいと思って見た。残身が短いのは「すいませんもっと余韻ください」と心の中で注文を出しつつ、当時の指導担当の錬士六段の先生ではなく、五段のO山さんを見ていた。

最近全然お見掛けしない。道場にいる時間が合わないから会えないだけなのだが、O山さんの射を見るために無理して道場には行かない。でも会えれば見たい。神社奉納射会には来るはずだから、そこで超見ると思う。

O山さんはそういう人なのだが、耳の良いお姉さんによると、わたしの弦音はO山さんと同じ感じで、よいらしい。

これは結構うれしい話。よいと思ってあれだけ見つめた人と同じ弦音とは。修練の方向性間違っていなかったかな、と喜んでしまった。

それなので、このお姉さんが何をよいと判断しているのかには大変興味があるし、わたしもO山さんの何をよいと思ったのか、その要素については同じくらいの関心を持っている。

さあ、このお姉さんやわたしが「よい」と判断したものは一体何なんだろうね。

ところで、O山さんってさ、イニシャルにする意味ないよね。そのまんまじゃん。そう、大山さんだよ。もう書いちゃう。

@kdsect
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