☆ スピパイ記念 ☆ あなたのポラリスの見つけ方

KD sect
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公開:2025/7/31

スピリチュアルに傾倒して気持ち悪い感じに仕上がっていたスピリチュアルパイセン、いつもいいネタを提供してくれてありがとうございます。嫌いだったけれど、わたしの人生に結構影響を与えてくれているので、そこには感謝している。

初めて会ったスピ系の人がこの人で、境界性パーソナリティ障害みたいなヤバい人だった。ご家族との関係において心に傷を負いつつも、それを克服していると思い込んでおり、それ故の誤作動の多い被害妄想家でよい子洗脳つよつよの自他境界グズグズの依存型愚痴産みスピリチュアルだった。一時流行したマスク警察のような人で、「自分はこれだけ我慢して調和をもたらしているんだ、お前もやれ!!!」というのが通奏低音のように流れているのだが、自分は善良であると頑なに信じている。こういう人とは普通に関わりたくないが、仕事で仕方なく。でも、そうでもしなければ、こういう機能不全家族出身スピリチュアル系の生態なんぞ分からなかっただろうから、これはこれでよかったのか?

精神世界への引き戻しみたいな現象が自分の身に起こり始め、その過程でこういうスピリチュアルパイセンにぶち当たり、紆余曲折を経て、「ハイすみませんでした!精神世界ちゃんとやります!8割くらいの力で!」と羽田空港で絵馬書くくらいには決意を固め、この探求を自分の道と(それなりに)定めたら、数日もしないうちにあっさり縁が切れた。なので、わたしの人生における重要な人物ということにしている。

実際、なんとも香ばしい人で、多くのネタを提供してくれているのだ。付き合いがあった頃には本当に気持ち悪くて蝕まれていたが、会わなくなると「すげえ嫌い」から「結構意地悪したかもなあ、めんごー、お互いサマンサ」くらいに気持ちも変わり、今ではありがたい存在であったとすら思う。合掌

このスピパイは残念な方のスピリチュアルで、バカスピ姿勢で精神世界を汚しているその行いに対する苛立ちと、境界性パーソナリティー障害(BPD)気質故の害との合わせ技で、わたしはもう本当にこの人が好きではなかった。そういう事情が、わたしを精神世界シリアス勢に押し戻したのもある。

「私とあなたは同じタイプだから」。知り合った初期の頃にはこれを相当言われていて、心外であった。この人が言う「同じタイプ」とは、どうも物事に対する視座が高いことを示しているようだったが、わたしは自分の視座が高いとは思っていないし、この人も俯瞰して見られるタイプではなかった。視座の低みタイプ?

何のタイプでもいいが、フワフワのスピリチュアルと同じ類型にされるのは嫌だった。様子を見る限り、スピパイはコンテンツ消費者である。商業的スピリチュアルの様々に詳しい。しかし、実践や探求には乗り出していないので、この人とわたしでは体験している世界が違いすぎる。

浅瀬でわいわいやっている人達はコミュニティの中で「同じタイプ」遊びができるかもしれないのだが、その世界に浸かり、深く潜って独自の探求をおっぱじめたら、誰一人として同じようにはならないだろう。同じ過程を経るわけでもない。必然的に孤独になる(内面世界の深いところでは、必ずしも孤独というわけではない)。探求仲間はできるかもしれないが、完全に同じ世界を共有するのは難しいだろう。なーにが「同じタイプ」じゃ!

それでこのスピパイ、自分の使命を知りたがっていた。

成り行きで一緒に地元の占い屋に行ったとき、スピパイは「私の周りには特殊能力を持った人が結構いて、私もスピリチュアルなことをした方がいいのか。それをした結果、自分にも特殊能力が発現したり、自分の使命がわかるのか」みたいな質問をしていた。

占い屋は、「スピに傾倒しないで、地に足つけて生活してください。その結果、スピっぽいことは起こるかもしれないが、人生のメインにスピを置くのはちょっと待って」みたいな占断を出して寄越していた。

後日、わたしにも同じ質問を占ってほしいと言われてカードを引いたが、出た占断は、「あなたの自然な振る舞いにより繋がる縁から人生の喜びが生まれるので、スピとか気にしないで普通に暮らしてください。使命とか仰々しいものではなく、あなた独自の人生の目的は、そこから発見しうる」みたいな感じだった。たしか。

占い屋もわたしも、スピっていないで普通に暮らしてください、と言っているのが面白い。わたしにも占ってと来たところを見ると、もっとスピスピした占断が欲しかったのだろう。残念だが、これに関してわたしは嘘はつきたくない。質問者を甘やかすためのウソ占断は言いたくないから言わない。

わたしがこの人を観察した限りでは、この人の特殊能力的なものは、「人と人とを接続させて化学反応を起こす」ことである。縁の運び屋だ。あと掃除。凄まじい掃除の鬼だった。これも能力である。特殊能力という表現は誤解を招きそうだが、とりあえず、特殊能力的、と表現する。本当は特殊でも何でもないものだ。人より得意なこと、くらいのニュアンスで捉えてほしい。

このスピパイの能力について、わたしから本人に解説付きで何度か伝えていた。スピパイが特殊能力授かる詐欺に遭っていたからだ。せめてもの慰めになればいいと思っていた。嫌いな奴ではあるが情けはある。だが、スピパイはこれらがあまり気に入らない様子だった。どうやら、それらの能力はスピパイにとっては地味すぎるようで、隣席のわたしが気の治療や霊視的なことをするのを羨ましく思っていたようだった。よりスピっぽく見えるからだろうか。わたしは、これらでさえ特殊でも何でもない人間の標準装備の能力だと思っているし、スピパイの特技である掃除なんて、治療や霊視より遥かに有用な能力ではないか。しかし、スピパイにはそうは思えなかったのだな。それなので、わたしは言い方を変えた。

「掃除って清めの一種で結界術です。術ですよ、術!!」

満更でもない様子で顔をピクピクさせていた。良かった。これは何回も言ってあげた。この人は被害妄想家で様々をネガティブに受け取り、すーぐご機嫌斜めになって事務連絡すら難しくなるので、折に触れて「結界術ですよ!」と言っていた思い出がある。二人だけの部署でこれはマジできつかった。他部署の先輩が「スピパイ被害者の会(暫定呼称)」の会長で、わたしをよく慰めてくれたが、この先輩がいなければ、わたしはもうだいぶ荒んでいたと思うし、アンチフワスピ原理主義過激派の戦闘員になっていたかもしれない。スピパイと血みどろの戦いを繰り広げて戦死していたかもしれないのだ。ありがたいことである。

このスピパイ、同じ占い屋に「今週は運気よくないですねー」と言われて、「あっ、……じ、じゃあ、私はど、どうしたら、いいいいいんですか……!!」みたいにこちらが引くくらいに取り乱していた。すごい。影響受けすぎだろ。どうなってんだ。

一緒に行ったわたしは特に占ってほしいことがなかったが、プロの技を見たかったので、もうだいぶ絞った質問を無理やりひねり出した。そして、どう頑張ってもクズの質問しか出てこなかった。「アホみたいに豊かな今の会社で安穏に禄を食み続けるために最も適切な姿勢はどういうものか」

これに対して、「あなたは占い師の言うこと聞かないタイプですねー、自分で決める人です。だから会社も自分の都合でパっとやめちゃうと思います、5年も居着かないでしょうねー」と占い屋に言われて、言うこと聞かないタイプ!でゲラゲラ笑ってしまった。確かに!人の言うことそんなに聞いてないかも!

これだけ違いがあるのに、「同じタイプ」扱いは納得が行かなかったが、時間が経つにつれ、スピパイは自分とわたしがまるで違う系統だと理解してくれた。次第に「あなたはそうだけど……」と口にするようになり、言葉の端々にスピパイとわたしが違う性質であることを匂わせるようになっていった。よかった。

このスピパイは、同じ事象を通過したときの反応や感想が自分と同じでないと怒り出すのだな。だから、スピパイとわたしが異なる性質の人間であるという認識がスピパイにできたというのは、ものすごい進歩なのだ。そうなるまでに、1年はかかった。異質であることを知らしめるため、スピパイの地雷を踏み抜く勢いで足を置いたこともあったし、知らずに地雷を踏んでいたこともあった。その過程では、お互いが満身創痍になったと思う。

これについて、自衛のために始めたことではあるが、結果、わたしはスピパイに対して善を施したと思っている。自他の概念をスピパイにもたらしたからだ。上っ面だけの頭での理解ではなく、心の底から理解しただろう。身体が覚えてくれたと思う。手段が一部乱暴だったかもしれない。それはごめんちー。

当時は、この認知の歪んだバケモノを調教しないとわたしが死ぬ、と感じていたので、必死だった。徹底的に合わなかったのだな。よい子洗脳つよつよの価値観や「真善美」の偽物のような似非スピ価値観を思いきりぶつけてきて「おまえもそれに従え」と迫ってくるから、わたしの性質上当然そうなる。更に、スピパイは距離感が独特というか、愛着スタイル依存型みたいな感じで、スゴい勢いで距離を詰めてくるのだ。

*あのっ、こんなポッと出の人間を安易に信用しないでくださいよ……わたしが悪い人だったらどうするんですか……

「私、信用できない人とは仕事したくないの。信用しないで、って、どういうこと?」

こういうタイプとうまく付き合えるよいお手本の人がもしいるのであれば、是非ともお話を聞いてみたい。未だにそう思う。スピパイに対してあれ以上の応対を当時のわたしができたとは思えないが、もっとよいやり方があったかもしれないとは思う。

それにしても、意地悪も差し挟んだが、わたしは随分と誠実な応対をしたと思う。スピパイのあらゆる相談に対して、自分なりの哲学で言葉を選びつつ正直に伝えたのだから、親切ではないか。それにより、スピパイのよい子洗脳の実態が本人にもわかる程に浮き彫りになったのだ。被洗脳者の奴隷でいたいスピパイのトラウマ人格にとっては余計なお世話だったかもしれないが、スピパイの主体(魂、でもいいよ)には大貢献していると思う。

スピパイは自己愛性パーソナリティ障害(NPD)気質の社長にあーんなことやこーんなことを言われたりされたりして、ずーーーっとブチブチ文句を言うのが趣味の人だったのだが、スピパイとわたしが別の人間であるとの理解が不十分だった頃には、同じ目に遭ったわたしがツラっとしていると超怒られた。すごいなじられた。不機嫌な態度を丸出しにしてくる。出会って2カ月目くらいで、刃物を出すかと思うほどにスピパイが取り乱して怒り狂ったことがあった。その日のうちに別会社の面接の約束を取り付けたくらいだ。

最初、何なんだこのスピ系は……と戦慄したが、境界性パーソナリティ障害(BPD)気質かなと気が付いてからは対応が多少うまくなったと思う。コミュニケーションコストは相変わらずバカ高だったが、刃物を出しそうなくらいに怒り狂うことはそれ以降にはなかった。なかなか目が合わず、何かあるとすぐに白目を剥きながら激しい瞬きを始めるこの人が、リアルで会った初めてのスピ系の人だったので、スピ系=害吉という図式ができてしまって、いまだにスピ系に対しては反射で「うおー、キモいぜー、嫌いだー」と思ってしまう。

白目で瞬き。冗談や誇張などではなく、文字通りにこれをやるのだ。初めて見たときには衝撃を受けたが、次第に慣れた。スピってるし、憑依かな?などと思ったものだ。こういう特徴の人は普通にいるらしい。スピパイがこれをやるのは(精神の)調子が悪いというサインである。わたしに何らかの疑念を抱いている時によくこれをやっていた。緊張していたのだろう。普段通り接していても突然そうなるから、わたしにはどうすることもできなかった。事務連絡と天気の話題以外の一切を話しかけるのをやめていると比較的安定するのだが、それが続くと向こうが「無視されている、別部署の人間とは喋っているから、謀をしている」とかなんとかで白目を剥き始める。とても難しい人だった。

BPDの特徴として、強い見捨てられ不安、理想化とこき下ろし、自傷、感情の爆発、癇癪などがある。スピパイはBPDの特徴のうち自傷以外のすべて持ち合わせている。スピパイのお母様の過干渉による毒を喰らってあのような人格の誤作動を起こすようになってしまったようだ。生きづらそうである。

スピパイの紹介で5,000字を超えてしまった。

もうしばらくスピパイの話が続くので、飽きた人は読むのをやめましょう。大事なことは一番下に書きます。


神の僕(しもべ)を自称するアイヌのシャーマンと、それに吸い寄せられるスピパイ

スピパイ、旅先のとある霊山で、スピパイの地元付近に住むアイヌのシャーマンと出会ってしまった。連絡先を交換して、旅行から帰ってきて、そのアイヌのシャーマンに連絡を取り、何度も会いに行っていた。スピパイはその交流の様子を逐一教えてくれる。喋りたいのだな。わたしはこのアイヌのシャーマンに会ったことはなく、スピパイの話を聞くだけだったのだが、この人について、危うい感じがぬぐえなかった。わたし目線で。

「神の僕(しもべ)」として日本各地を巡礼して回るこのシャーマンについて、私が危ういと思うところは、「神の僕(しもべ)として生きている今が一番幸せ」と言っていたところである。又聞きだが。

このシャーマン、アイヌ人ではなく和人である。元々霊感的なセンスがあり、一般企業の花形部署にお勤めであったのだが、なにかスピっぽいことがあり、すべてを失って、どういう経緯かはよく知らないが、神の僕(しもべ)になり、すべてを神にゆだねて生きているのだそうな。精神世界は下手打つと廃人になるだとか、そういう注意喚起をしているところはわたしと同意見だし親切だなと思う。フワスピとは一線を画すように思える。

が、9割の真実に1割の嘘を混ぜる方式で、真っ当なことの中に罠を仕込んでいるような印象を受けるのだ。

このシャーマンは、「神に全てをゆだねて生きている」と言っているのだそうだが、この中に問題が二つある。

まずは、自分以外の何かに全てをゆだねているところ。これが一つ目。流れに乗るだとか、そういうことはまああるだろう。ただし、全部丸投げみたいなその姿勢はどうかと思う。一体誰の人生なのか。全て委ねたその見返りはあるのか?どういう契約なのだろうか。良いように使われているだけではないのか?

もう一つは、「神」を名乗るその存在の正体について。人霊でも狐狸精でも「神」を名乗りたい存在はうじゃらうじゃらと生息しているだろう……そのシャーマンがやり取りしている相手はどういう存在なのだろうか。アイヌのシャーマンが、自分の世界観を説明するためにわかりやすく「神」と表現しているのかとも思ったが、ちょっとわからない。そして、その「神」に日本全国の土地を指定されて巡礼に行かされるというその受益者は誰か。

スピパイは、このアイヌのシャーマンに心酔していた。

自己犠牲的で過剰に相手に尽くしてしまうスピパイに対して、このシャーマンは「誰を一番に据えているんですか」、「やらないで差し上げる」など、スピパイにとってそこそこ厳しい事を言ってくれたらしい。スピパイは、職場の後輩が同じことを違う言い方で言う、とそのシャーマンにわたしのことをうっかり漏らしたらしいが、わたしを巻き込むのはよせ。

スピパイの奴、わたしの諫言は全く聞かないどころか「そんな冷たい人だとは思わなかった!」とか怒るのに、アイヌのシャーマンが同じことを言うとコロリだったんだよな。聞かれたから答えたのに怒られる理不尽。慈悲をくれてやる相手はお選びください、というのが冷たいのか。なるほじー。

このアイヌのシャーマンには、奇蹟(っぽいこと)を目の前で見せてもらったのだと大喜びで何度もわたしに話して聞かせてきた。祈りか何かで雲を割るだとか、水晶を大地とつなぐだとか(これはわたしも確認したが、エネルギー高出力の水晶になっていた)、ご神饌がお供え前後で味が変わるだとか、何かそういうやつ。最初はすごく興奮して喋っていたが、わたしの反応が鈍いせいで徐々にトーンダウンしていったのは少し可哀そうだったかもしれない。

アイヌのシャーマンは、「……うん、うんうん、〇〇〇〇って晴明先生が言ってますぅ」といった具合で突如としてチャネリングを始め、降りてきたメッセージをバシバシ伝えてくるのだそうだ。全くスピっていないスピパイのお友達に対しても同様に「……(割愛)言ってますぅ」をやるというのだから、相当気合が入っている。

そして、スピパイは、このシャーマンからの「私はレラさんに霊能力を開いてもらったんですぅ。あなたもレラさんに霊能力を開いてもらうと、相当高いところまで行ける人だと上から聞いてますぅ!」という殺し文句で、最終的にはスピ能力授かる詐欺に遭った。レラさんというのは、アイヌのレジェンド、アシリレラ氏のことである。実在の人物だ。なお、このアシリレラ氏が詐欺を働いたわけではない。

スピ能力授かる詐欺のことは別の記事に軽く書いた。とても攻撃的な記事なので、探し出して読むことはお勧めしないが、ジャンクフードを食べたいみたいな時がたまにあるよね、そういう時に読むにはいいかもしれない。

奇蹟(っぽいこと)を見せられ、高いところまで行ける(とは何ぞ)人だと持ち上げられ、厳しめの忠告も与えられて、アメとムチですっかり蕩けてしまったスピパイはアイヌにかぶれ、その後、このアイヌ系コミュニティとその周辺でいいように扱われてしまう。でも大丈夫、例のシャーマンに心酔しているから、違和感は抱きつつも、信じてついて行こうとする。詐欺に遭った後ですら、このシャーマンは悪くないと思おうとして頑張っていた(実際悪くない)。

このあたりの話はスピパイからよく聞いた。期待感と自慢を纏わせた話しぶりの事の始めから、ひどい扱いを受けたり、本人の思惑と大幅にずれた結果になった顛末に対する、未来永劫続くと思わせる呪いの愚痴までの一連のエピソードが数本ある。それぞれのエピソードは紹介しないが、突っ込みどころが満載である。

更に恐ろしいことに、事の始めから終わりまでの愚痴エピソードは、このアイヌ周辺クラスタとは関係のないところでも発生している。プライベートをダダ漏らすスピパイからリアルタイムで詳しく聞かされている。

スピパイは、私の知る限り、その時々で心酔する相手に結構ヒドい目に遭わされている。距離感を間違えたり、違和感を感じつつもそれを無視して献身的な交流を続けるからそうなるようであるが、

では、何がスピパイの目を曇らせるのかというと、それはまさしく、「特殊能力的なやつ」。なんじゃそら。

スピパイ、その手の能力を少しでも発揮する奴のことを、どうも上に見てしまう癖があるのだな。このあたりの話を、聞けるときに聞いてみたことがある。スピ能力授かる詐欺に遭った後だった。

*わたしの知り合いの中では、その手の能力はテキトーな本読んだり自分の感覚で探ったり修練し始めて一人で勝手に獲得していく人が多いです。『ドラゴンボール』の真似して気の操作を覚えたと言っている人を知っています。スピパイセンはその手の訓練とか全然やっていないようだから、能力には全く関心ないのだと思ってました。実は興味あったんですか?

「別に特殊能力が欲しいわけではないし、ないならないでいいんだけど」

「セッション受けてた時は、自分にはそういう能力は与えられないと思っていた。私にはできないと思っていた」

「そういう能力は、霊格の高い人が持つものだと思っていた。私は未熟だからまだ授けられないと思っていた」

「誰か先生に教わらないとできないと思っていた」

占い屋に「いつかスピ能力が発現するのか」と聞いてみたりする辺り、関心がないわけないだろう。わたしの聞き方は意地悪だ。

自分がついつい上に見てしまう連中と同じ立ち位置に行けるのだというような期待感があったのだろう。詐欺られた後のスピパイの落胆ぶりはなかなかだった。スピ能力授かる詐欺に遭う数ヵ月前の夏の暑い日に、「特殊能力を授かったら何をしようか、今から真剣に考えておこうと思って!」とキラキラ話していたのをよく覚えている。いろいろスゴいパイセンだと思ったのもよく覚えている。

  (ここからが本題)

だが、スピパイが本当に欲しいのは特殊能力ではなくて、他者からの承認、特別視といったところであろう。そしてそれは、本当は他者からではなく、他ならぬスピパイ母からの承認が欲しかったはずだ。

子どもが本来母親から受け取るはずの関心や愛情は、スピパイには与えられなかったようだ。五十路手前のスピパイが働かないご兄弟の面倒を未だに見ているのは、男尊女卑が強いスピパイのお母様が今もご兄弟を溺愛し甘やかしているからだろう。いくらご兄弟の面倒を見ても、スピパイのお母様の関心がスピパイに向くことは、おそらくない。これは誰が見ても同じように感じるだろう。このことは本人もわかっているのだが、潜在的にはそれを受け入れられないでいる。

こういうのは年齢で片づけられるものではない。頭での理解で済む話ではないのだ。スピパイの中の子どもが、今も母親からの関心を求めている。傷ついた子ども時代の自分を救い、癒すような何かが必要である。そしてその手段は、主に内観。自分の内面世界で行うものだ。

スピパイは傷を覆うように鎧を着こんでいる。よい子、正しい子、役に立つ子、母を煩わせない子。その鎧はやがて人格を形成し、スピパイとして生きる。スピパイは鎧を着ている限り、自分の人生を生きられない。

鎧の人格は、要所要所で誤作動を起こす。欠乏感を埋めるために生まれた人格なので、満たされてしまうと鎧人格には存在価値がなくなる。だから、成功の直前で足を引っ張るようなことをする。満たされないために。

鎧人格で生きていると、自分本来の人格である主体(魂、でもいいよ)が表へ現れにくくなる。トラウマ的によい行動を取ろうとする鎧人格が主導で人生を進めていくことになるが、そうなると、思考や感情が鎧人格にとって良いと思われるものにすり替えられて表に出される。いずれすり替えていることに気づけなくなり、本当はどう感じていたか、どう思っていたか、主体(魂、でもいいよ)の感ずるところがわからなくなる。

感情はセンサーだ。それが機能不全となるのだ。当然、その人の本来の望みは分からない。自分の好みすらわからなくなる。完全に迷子である。人生がうまくいきにくく、本人も苦しい。

だが、人生がうまくいかないばかりではない。鎧人格によっていくらか成功体験を積んでいる場合もあるだろう。そうなると、鎧人格をよいものと見なしてしまう恐れがある。

親の関心を引きたくて「よい子」で育った場合、「よい子」の人格は本来のその人ではない。「よい子」を駆使して自分の人生を豊かにできたかもしれないが、それは本来ではないから、そういう一見よい人格ですら解除して本来の自分の主体(人格)で生きた方がよい。自分で「よい」と思う人格すら、自分の主体(人格)であるかを精査すべきである。自分の傷は見たくないものだし、根が深い問題であるから、それくらいは疑わないとトラウマの解除は進んではいかない。

こういう内容の話になったとき、スピパイははっきりこう言った。

「私は今までこれでやってきたし、これを捨てる気はない。あなたの話はこれ以上聞きたくない」

お手本のような反応である。

鎧人格が窮地に立たされると大体このようになる。鎧人格を削除することを決めた人にとっては、このような反応が起こることが削除の鍵になりうるのだが、そうではない人にとっては、ただの恐怖や不快でしかない。

この鎧人格の削除作業は、無理をしてでもやった方がその後の人生が楽になるので万人にお勧めしたいのだが、根性と気合がいる作業である。つらい作業なので、鎧人格の稼働を自覚していても、やりたくないのであればやる必要はない。鎧人格ではもう生きられないと思うくらいに困ったことに直面するまでは、これに取り掛かるのは困難だろう。困ったらやればいい。

人それぞれ傷付き方が違うので、人によってはこの作業は心から血を流すようなつらさがある。必要に迫られないと、なかなかできるものではない。困っていないのであれは、鎧人格が稼働していることから目を背けて生きることもできる。それを選択した場合、その人本来の人生ではなくなるというだけである。


あなたの「ポラリス」の見つけ方

「使命」とは、あなたの主体(魂、でもいいよ)の望むことそのものである。

どこぞの偉い「神」から言いつかるものだけが「使命」というわけでもないだろう。そういうお使いみたいな用事を頼まれている人はごく少数だと思うが、生まれるときに、明確にこれをやる、と決めてきた主体(魂、でもいいよ)の人は案外多いのではないかと思っている。人生の青写真的なものを定めて生まれている人が主であるようだが、ない場合もあるかもしれない。

そして、生まれる前に決めてきた目的、「使命」は一つとは限らないし、珍しいものからありふれたものまで様々である。規模もそれぞれ違うだろう。たとえば、「互いに気遣いあうあたたかい人間関係を味わう」というような目的を持って生まれている場合もある。プロスポーツ選手になるだとか、心霊治療師をやるだとか、そういう派手で目立つものや特異なのもばかりではない。

その人の人生をよくよく精査すると、「使命」は大体わかるのではないかと思う。幼少期をよく見ると、自分の主体(魂、でもいいよ)の大体の好みと傾向が掴めるのではないか。幼少期の自分と、今の自分の主体(魂、でもいいよ)の望みとを見比べてみてほしい。共通項がもしあれば、それが「使命」かもしれない。

どうしてもわからない場合もあるだろう。そういう時は、自分で好きなように「使命」を設定すればいい。やり込んでみて、違うと思ったら好き勝手に変えてしまえばいい。

それがあなたの「ポラリス」、人生の道しるべとなる。

ここまで読んでくれた鋭い人にはもうお分かりかとは思うが、幼少期の過酷な環境を生き延びるために生まれたサバイバル人格、鎧人格が稼働している人は、主体(魂、でもいいよ)の望みがわからないことが多い。その時々で、自分の湧き上がる感情を誤魔化し、模範的と思われる別のものにすり替えてしまうからだ。感情はセンサーなので、これが使えないとなると、あらゆることが狂ってしまうおそれがある。

鎧人格が稼働していると、本来の自分の人生ではなくなる、とは先に書いたが、それは、主体(魂、でもいいよ)の望みがわからないから、という理由が主なのだな。だから、本来の自分の人生を生きたい人は広義のトラウマを解除して偽人格を削除しましょうぜ、と普段から主張しているのだ。

わたしは宗教をやっていると思っているが、KD教の教義は「主体(魂、でもいいよ)で生き切る」ことである。

現代の日本は機能不全家族が多いのではないかと思っている。わたしの生家も弱毒であった。そして、毒を仕込んでくるのは家庭だけではなく、社会、それも義務教育で徹底して行われている。毒にやられてしまうか否かは、その個体の自我の強さで分かれているように感じる。

そして、その毒に対抗するために生まれてしまうのが、トラウマ人格、鎧人格、偽人格などと呼んでいる、本来の自分ではない人格だ。サバイブするための人格で、それによって過酷な環境を生き延びたり、長期間にわたり付き合いが続くので、本来の自分とは見分けがつきにくいし、後天的に作り出す人格は一つとは限らない。その影響の強さもまちまちで、本当に難儀な問題なのだな。

「使命」が欲しいスピパイが「使命」を発見・獲得するには、まずは自分の主体(魂、でもいいよ)の望みを把握することである。だが、スピパイは鎧人格を捨てる覚悟がないため、主体(魂、でもいいよ)の望みがわかりにくい。でも、特別な存在になりたい願望が強く働くためにどうしても「使命」が欲しい。それも、他者から格好よく見える「使命」が。そうして、スピリチュアル能力授かる詐欺にまんまと引っかかってしまう。

ここまで極端ではなくとも、スピリチュアル系の人はこういうタイプが多いのではないかと思っている。占いで小銭を稼げるようになってから尚そう思うようになった。

こういう場合は、「使命」はまず置いておいて、自分の解毒から始めた方が余程手っ取り早いので、もし該当する人がいるのであれば、トラウマ解除を超強くお勧めしたい。人によっては超ツラい作業になるが、それをやる前後では別人になるくらいの変化があるだろう。

そして、これをやると、元々スピ系でも、本当はスピリチュアルなど必要なかったということに気づくかもしれない。スピリーダーみたいな人にハマるのは自分の指針や自分の価値観がないからで、それらが自分の中にでき始めると、そういう人達にはハマれなくなると思う。他者にはハマれない、その代わりに、自分にハマる。

各人の主体(魂、でもいいよ)は本来は黄金の像である。そして、生育途中に様々な汚物(広義のトラウマ)や絵の具(他者の価値観)を塗られてしまう。人によっては、その汚れが即座に落ちて、本来の黄金の輝きそのままでいられるのだが、そうではない人たちもいる。その汚物や絵の具をきれいに拭い去って、主体(魂、でもいいよ)を本来の黄金像に戻してやると、主体(魂、でもいいよ)の望むところがわかるようになる。他者の価値観の混ぜ物やおかしな思考の癖がなくなるからだ。

そうやって、自分の主体(魂、でもいいよ)の意向に沿って人生を前に進めると、とりあえず人生がうまくいく。というか、本来の望みを把握すると、その通りに事が進んでいく。なぜだかわからないのだが、人間の仕様はそのようになっているっぽい。人間の意志にはものすごいエネルギーがある、というのはわたしの主張のうちの一つだが、そのエネルギーが一方向に絞られて使われるのだとしたら、上手く事が運ぶというのは、不思議でも何でもない。

現代人は、本来の自分の望みと、社会的な役割と思い込んでいることなどの大きく2つのベクトルに引き裂かれている場合が多いと思うが、これだけで本来の力が二分されているのだ。一つにまとまるだけで、莫大なエネルギーになる。なにかに夢中になっている人が凄まじい集中力や没入感で物事をゴリゴリ進めていけるのは、こういう力の使い方をしているからだ。

ここで言う「うまくいく」とは、地位や財産に恵まれて社会的にうまくいくということではなくて、本人の主体(魂、でもいいよ)にとってうまくいく、という意。

本人の主体(魂、でもいいよ)は本人そのものである。


霊的な作業、オカルト技法をやる場合、トラウマ人格が残っていると、上手くいかない場合が多い。感覚を編集したり捏造するからだ。 だからその手の作業をする人はトラウマを解除した方がよいと言っている。 オカルト技法や魔術系作業は霊能とは関係がなく、技術である。わたしが過去にやっていた気の治療、遠隔治療や霊視的なものも技術である。それらの作業は人間の能力の延長上にある。スポーツと一緒。 ただし、微細な感覚の世界なので、それらを捏造したり編集する厄介な性質があると、うまくいきにくい。だからトラウマ人格を解除しようぜと言っている。

このことを踏まえて、知り合いの霊能者がもしいれば、その人のことを考えてみてほしい。その霊能者の人格がどういうものなのかをよく観察してみて、何か違和感を感じるのであれば、その霊能者とは交流の在り方を少し考えた方がよいかもしれない。これは目安の一つである。

人格の良し悪しではなくて、人格が統合されているか、というところを見るのがよいと思う。スピパイのように霊能者に清廉潔白な君子を求めるのであれば、人格の良し悪しを見るのもアリかもしれない。わたしはそこはあまり気にしない。君子くんより、ちょっと下衆なところがある人のほうが面白い率が高いと思っているからだ。これはわたしの過去の経験による独断と偏見の塊の意見なので、各人のバランス感覚で判断してほしいところ。わたしは、多少お下劣な人でも誠実性が高ければとてもよいと見ている。

そして、自分が霊能やスピ能力を行使する場合も、トラウマ人格が稼働しているか否かをものすごく気にした方がよい。わたしが10年以上前に気の治療から足を洗った理由がこれであった。あの当時、世を呪う気持ちがまだあった。不可視の世界に触れたい人は、人格の誤作動があると即座に転落するのだな。危険な世界でもある。だから当時、わたしには資格がないと思ってやめた。

それでもニュートラルな気持ちで取り組めば一定の成果というか結果は出せるのが怖いところでもある。トラウマ人格に気づかずに霊視による鑑定などを行っている人がいるが、そういう人の言うことは話半分に聞いた方がいいかもしれない。

というか、そういう聞き方するくらいなら聞かなくてもいいよね。まあ、お友達でもない限り霊能関係の人には必要がなければ近寄らないのがいいんじゃないかと思う。そして、わたしは霊能者ではないので、どうか誤解されませんように。


もうすぐスピパイ記念日なので、スピリチュアルに傾倒するスピパイにこそ届いてほしいと思って書き始めたが、肝心な部分は文字数制限がかかって書けない!!スピパイ記念だし、スピパイのこと書かねばと思って文字数使いすぎた。でもスピパイのことは削りたくない。

一番大事な解毒の方法、トラウマ人格を削除する方策については別の記事で書こうとは思っているが、どうなるかわからない。とりあえず、やり方は「内観」ですよ、と記録しておく。つらい出来事を味わった、その時の感情をありありと感じて解放する、みたいなやり方が王道だと思うのでそれを推奨しているが、万人がこれで解決できるわけでもないとも思う。

EFTも良さげではあるが、これは自己洗脳?調べが足りなくて今すぐは分からない。その他、誘導瞑想みたいな方法で過去のトラウマ記憶をよい記憶で上書きをするやり方だと、汚れた黄金像を金の汚れで覆う感じになるので、やめた方がいいと思う。

いよいよ文字数がアレなので、もうやめます。

@kdsect
頭のおかしな話は しずかなインターネットとBlueskyで展開中。