意識的に15年前のことをたくさん思い出していた。そんなことしなくても、この先も忘れることはないけれど、そうやって思い出すことで、きっと鎮魂になるだろうから。
雪が降ってひどく寒かったこと。家族とも友人ともぜんぜん連絡がつかなくなったこと。道路の信号が消えて警察の出動さえ間に合わず恐る恐る帰路についたこと。家の中がぐちゃぐちゃになっていたこと。電気もガスも水道も止まり、真っ暗闇になってロウソクに火を灯して夜を過ごしたこと。すべての光が消えて見上げた空に広がる星空があまりにきれいで感動してしまったこと。この状況でそんなことに感動している自分は最低だと思ったこと。朝がくるとより混沌の度合いが増したこと。
スーパーは軒並み閉店し、相変わらず交通機関は麻痺した状態。余震はとめどなくなく続き、数時間に1度は大きな揺れが起こって街がざわついた。風呂にはほとんど入れなかった。でも何日も入らないのはしんどいからタオルを濡らして体を拭いた。すごく冷たくて凍えそうだった気がする。1か月くらいはそんな調子。配給があり、食べ物はさほど問題なかった。でも、もう記憶はあいまいになってきている。細かい部分は覚えていない。とにかく私は生き延びた。
時と波とにさらわれて、記憶が少しずつ風化していく。震災の記憶は無くならない。でも、だんだんと当時感じていた気持ちは薄れてきているのがわかる。恐怖も。痛みも。悲しみも。それは幸福なことであり、寂しいことでもあると思う。これ以上、心を傷つけたくはないし、思い出したくないことは思い出さなくていい。それと同じくらい、痛みが薄れていくことに、かつて負った傷のことさえ忘れはじめていることに、妙な切なさを覚える。気持ちが失われていくことは、幸福であり、寂しいことだ。
誰にも言ったことが無いけれど、あの時から、別の世界に来たような感覚がある。ここは私にとって「震災に見舞われた世界」だ。でももしかしたら、どこか別のところに住んでる自分は「震災に見舞われなかった世界」で生きているのかもしれない。あるいは別に「震災で自分が死んでいる世界」もありうるのかもしれない、と。このことを考えるととても変な気分になる。生きててうれしいとかそういうことではなく、なんで自分は生き残ったのだろうという感覚。そこに意味を見出そうとするほど自分は幼くは無く、それがどうしたと言われば、はいどうもしませんよと応えて終わるのだけど。
ともかく不可逆に私はこの世界に来てしまって、どうやら震災を体験してしまった。被災者でありながらどこか他人事であり、非現実感はいまでもちょっと在り続ける。だからか、震災の体験を後世に語り継ぐ。そういう意識はどうも希薄で、こんなふうに、あの当時のことを書くのはこれが初めてで、どうして今このとき文章として残そうとしてるのか自分でもよくわからない。
でも15年、私は仙台を見てきた。少しずつ変わっていく風景を見てきた。繰り返し繰り返し津波の被害の映像がテレビで流された。併せて、徐々に復興していく被災地の景色も。沿岸沿いには高い堤防が作られた。震災遺構として津波の被害に遭った小学校が遺された。時間はいろいろなことを解決してくれるものだと実感する。
と同時に、きっとあの日の記憶とともに時が止まってしまった人もいるのだろう。自分は津波の被害に遭ったわけじゃない。だから、家を流され、家族をまるごと失った人たちの悲しみは、まさに想像を絶する。きっとその最も深い感情にまではこの先もたどり着けない。だから心に平安が訪れるよう心から祈るしかない。せめて今日という日は悲しみに暮れることを許してあげてほしいと思う。私も自分を赦したいし、あなたもそうであってほしい。
そうして思い出すことで、これからも鎮魂を願い続けようと思う。生き残った者として、まだ命がある者として。
要するに、私は生き延びた世界に生きていて、どうやら15年経って、当時よりすこしだけましになったらしい。生活も、人間性も。きっとね。身体は以前より衰えた気がする。今年はもうちょい運動をしよう。なんせせっかく生き延びたのだから。5年後もっとましになっているように。10年後もっとましになっているように。
明日からまた一歩一歩だ。そうしてここまで来たのだから。