ニ十年ほど引きこもりを続けている。こんなに自由な生活をしていられるのも、ひとえに親の献身的な対応によるおかげだと考えている。
小学三年生の夏前に僕はクラスメイトに酷いいじめを受けた。物を隠されるところから始まり、無視をされ、軽蔑され、暴行された。実際に行動してきたクラスメイトはごく一部だったが、他の生徒も見て見ぬ振りだったから同罪に近いだろう。
一時は親に言うのも申し訳なくて、一人で耐えていた。自分が心を殺せば平和だと信じていたから。
しかし暴行があまりにも過激になってしまったため、階段から落ちただの転んだだのという言い訳も親には通じなくなってしまった。
親に問い詰められた結果、僕はいじめられていることを白状してしまった。この時の僕は悔しくて申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、もっと早く言っておけば良かったなと今になると思う。子供が耐えることより、大人が動く方が未来があって建設的だからだ。
その後いじめが当然大問題になったようだが、どうなったかはよく知らない。親が学校に行かなくてもいいという方針に切り替えたからだ。
いじめをするような他人がいる学校という社会。いじめに気づかず、もしくは気づいていても見なかったことにするような教師が何を子供に教えられるのか不審に思った親は、僕を外に出さず、家の中のみで教育することにしたのだ。
それからというもの、僕は両親以外の人間に会うことなく人生を歩んできた。
きっと親も早く気づけなかった自分を許せなくて、今度は失敗しないように安全を考慮したのだろう。最初は困惑したが、結果的に個人的にはこれで良かったなと思っている。
こうして引きこもり生活が始まった。親は僕に辛い思いをさせた負い目から、僕の言うことは何でも聞いてくれた。食べたいものがあれば持ってきてくれたし、やりたいゲームがあれば買ってくれた。
そのまま、所謂ステレオタイプな引きこもりになり、自堕落な生活を満喫していた。寝て起きてゲームをしたりして食べて寝る。それを何年も繰り返す作業のような人生。でも、僕はそれで良かった。もう誰かとの関係性を築いたり仲良くなったりするのも面倒くさかったのだ。ネット上で同じような引きこもりと匿名で意見をし合うくらいがちょうど良かった。
そうなると段々と歩くこともなくなり太っていく。太ると動くのが面倒になりベッドに寝てばかりになる。足の筋肉も腕の筋肉も退化し、寝て食べて寝ることに特化した体付きへと変化していく。
最初はその変化に気づかなかった。鏡もないし、親も僕と顔を合わすことがなくなったので、誰も僕の姿を知らないのだ。それでは中々気付けないのも無理はないだろう。
手足がやせ細り、その代わり胴が丸々と肥えた不自然な進化を遂げていることに気づいたのは、溜まった糞尿を廊下に出して親に処理させようとしたときだった。
一週間前はまだ持てた便を溜めているバケツが持ち上がらない。ペットボトルに入れた尿が入れられているカラーボックスもだ。その時久しぶりに自分の体を見てみた。
腕は取れてしまいそうなくらいにみすぼらしくなり、足は膨らんだお腹のせいで見ることもできなかった。
これでは何かを持ち上げて動かすなんて言う芸当できっこない。自分の不甲斐なさに、久しぶりに声を出して笑った。久しぶりに声を出したものだから、喉が開いていないのかなんなのか、まともな音になっていなかったと思う。
それからというもの、どうせ持ち運べないならと、思い切ってベッドに寝たまま排泄することにした。これはこれで気持ちがいいものだ。臭いももはや気にならない。家の中がどうなっているか知らないが、誰も何も言ってこないのだから、まぁ問題ないのであろう。
これを機に、なんでもかんでも面倒だと思うようになった。食事も、娯楽も、覚醒していることそのものも、全部面倒になった。
今まで以上に動かなくなっていった。パソコンを操作するために動かしていた両手を、パソコンからスマホに持ち替えて片手を封印し、一日三食親に届けられていた食事も口にすることが減り、一日一食以下になった。
起きていても意味がないので、一日の大半を寝て過ごすようになる。夢を見るほど情報の更新がないため、目を瞑って開けたと思ったら数時間経過していた、みたいな現象が当たり前になっていった。
そんな生活すらも面倒になる。ついには、スマホで娯楽を得ることすらも面倒になり、もはや何もせずゴロゴロするだけの存在になった。
寝て起きて、たまに何かを齧って寝る。そんな日々がどのくらい続いただろうか。
僕は芋虫のようになっているのではないかと気づいた。
手足そのものが不必要になり、何かを見ることもなくなり、匂いも感じず、脳を使うこともなくなり、何もせず近くにある何かを齧る毎日。それに特化した体に進化していた。
手足がある感覚はない。見てもよくわからない。何かを見る必要がなくなったから、目の機能が退化したのだ。腕を使って起き上がることも、足を使って立ち上がることもできないから、手足がないのだろうと結論付けた。
胴体を動かして這いずることはできる。というより、これ以上の移動手段がいらないため、環境に特化した体だと言えよう。
実に気楽だ。
考えるための脳の容量が減ったのか、このままでいいのか何ていう、引きこもり特有の時々叫びたくなる問題を考えることすらなくなり平和になった。考えるというこの生活において意味のない脳作業がなくなり動くこともなくなったため、必要な栄養素も最小限で良くなって、実にエコな人間になった。
地球環境をなんとかしたいという活動家の方は、ぜひ僕のマネをしてほしい。彼らの言う環境問題の解決に、きっと近づくから。
芋虫のようになってどれくらいが経過しただろうか。
這いずることすらなくなった。
じっとしていたくなった。
体がなくなるような感覚。
全て溶けて、混ざって、混然とした感覚。
今までで最も安定しているような気がする。
暖かくも寒くもない。
感覚が研ぎ澄まされているようであり、なくなっていくようでもある。
それが続いて。
ある日、久しぶりに僕の部屋のドアが開けられた。目がよく見えないから、かすかに感じる身に覚えのない光と新鮮な空気によって、なんとなくそれを察しただけだが。
誰かが何かを叫んでいる。嗚咽だろうか。耳もよく聞こえないからわからない。反響するような不快な音が頭の奥でループしているようだ。
僕の体を誰かが触る。
誰かはわからない。
今触るのはやめてくれ。
くすぐったいんだ。
あまりにもくすぐったいから。
僕は久しぶりに体を動かした。
思ったより爽快で。
想定より機敏に。
体験したことがないくらい軽やかで。
感じたことのない浮遊感を。
僕は味わった。
ドアを出て。
玄関を出て。
飛び立つ。
文字通り空へ。
これが太陽。
これが空。
あぁそうか。
これが自由か。