今回は趣向を変えて、1ヶ月ちょっと毎日創作活動を続けてみて感じたことを書いてみたいと思う。
思いつきで何かを創作しようとしたとき、一番大変なのはストーリーを考えることだった。
書き始めから1時間以内で書き切ると決めているので、細かいプロットなどを構築している時間はない。パソコンならともかく、スマホで2000字から3000字を入力するだけでも結構しんどい。なので、ストーリーは書きながら考えつつ、後で矛盾が生じたら手直しをする程度になってしまう。
自分の創作の流れとしては、まずタイトルを考えて最初の一文を書き始める。そこから出てくる順番で登場人物の性格やら口調を書きながら決めつつ、ある程度登場人物や世界観の説明が済んだところでオチを考えていく。最後の一文はなるべく印象的な締め方にしたいので、個人的に綺麗だと感じる文章で終わらせる。その後、ざっと読み直して誤字なんかがあったら直すという具合だ。
流れ的にストーリーは勢いで考えているわけだが、そのレパートリーはその瞬間自分の中にあるものだけしかないため、どうしても同じような展開になりそうになることがある。
考える時間さえあればなんとかなるかもしれないが、その余裕もないからなんとか無理矢理やっていないことをやってごまかすわけだ。
そんな中、比較的考えやすいストーリーの作り方があると気づいた。それは社会派の作品だ。
ただのエンタメに留まらず現代社会に対して警鐘を鳴らすような作品は、高尚なものに見えがちではある。問題に立ち向かう事によって、楽しむだけではなく社会のための創作であると見えてしまうからだ。
しかし、実際やってみると実に合理的にストーリーを想像することができるし、ゴールも明確でオチも作りやすい。物語に社会問題そのものに巻き込まれている人物を配置するか、もしくは社会問題について思うことを登場人物に語らせるだけで成り立ったりする。社会問題を誇張して描けばストーリーも膨らみ筆も進む。
ネタに困ったらニュースを見たらいいのではないだろうか。どんなニュースでも、考えたら感想な一つや二つ出てくるだろう。それをそのまま題材にしてしまえばいい。
少なくとも自分のやり方ならそれが一番楽なだけで、みんながみんなやりやすいものだとは限らない。ただ、困ったらやってみたらどうだろうか。
生み出すのが苦しい人も、もしかしたらこれが打開策になるかもしれない。
それと最近詩を書いているのだが、これにも理由がある。
この活動そのものがそもそも自分の修行の一環なので、詩を作ることも当然修行としてやっている。
詩は美しい言葉でのみ構成されるべきだと思っていて、その美しい言葉を瞬間的に生み出す筋肉を鍛えている。ちなみに、美しい言葉というと綺麗なものかと勘違いされるかもしれないが、汚い言葉も美しい言葉になり得ると考えている。
小説を書くにあたって語彙力よりも言葉の使い方が大事だと思うようになった。誰もが知っている言葉で作る方が誰にでも伝わりやすいという至極当たり前な理由からだ。語彙力が高い方がいいが、最悪辞書を開けばなんとかなるよねということで、言葉選びを重要視しようと考えるようになったわけだ。
小説においてはすべての言葉を美しくする必要はないと思うが、自分らしい言葉のチョイスは大切にしたいと思っている。
さて、こんなことを毎日続けているといいこともある。自分の場合、自分はどんなスタイルが向いているのか気づくことができた。毎日続けて辛くなったときに寄り添えるものこそが自分の得意とするスタイルだと確信できた。この気づきによって創作物のクオリティになんらかしらの影響が出てくるだろう。
毎日続けるのは大変だけど、他の人もできるところまでやってみてほしいなと勝手なことを思った。
よくわからない人が書いている文章をこれ以上読むのは苦痛だと思うので、また何か思うことがあったらそのときに書こうと思う。1ヶ月後くらいに。