強くて勇敢な女性がいた話

kenshira
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 フェミニズムという思想をご存知だろうか。現代社会においてそのような思想は古臭く、議論されることもなく話題に上がることがないため、知らないことを恥じる必要はまったくない。

 僕の知る限りの知識で説明すると、かつて男性が社会を設計し構築し運用していた時期があった。女性は社会的に虐げられ、そんな事実に気づくことすらできず生きていた時代。

 そんな中、そんな事実に気づいた女性達が立ち上がった。社会における男性の権利と同等の権利が女性にもあると、運動を起こすことになる。この思想がフェミニズムと言われていた。

 信じがたいかもしれないがこんな時代があったのだ。学校で学んだ人もいるかもしれないが、馬鹿馬鹿しくて忘れている人もいるだろう。

 そんな思想が生まれたのが五〇〇年ほど前になる。そこから徐々に女性の権利が向上していった。

 男女が平等の機会を得て、平等の扱いを受けてきた。そんな事実もまた、今は理解できないだろう。理屈ではわかっているつもりでも、それでも他人事にしか捉えられていないような気になるのは理解できる。

 転機が訪れたのは三〇〇年ほど前。

 科学者による研究が実を結び、新しい命を創るのに男性が不必要になったのだ。これは皆さんご存知だろう。

 一組の男女からしか繁殖できない仕組みは効率が悪い。男女どちらかに遺伝子的な欠陥があった場合、その組み合わせで誕生する生命は欠陥のある人間である確率が高い。欠陥のある人間はサポートしなければならなく、当然足枷になる。

 女性単体で繁殖できればそのリスクが半分になる。素晴らしい研究であると思う。しかし、そこから現代社会を形成するにあたり、想定より時間がかかったそうだ。

 男性による反発が大きかった。社会においての男性の役割が突然なくなるのだ。許せない人が出てくることは当たり前だった。

 しかし、時間をかけて、社会全体を納得させながら、人類は究極的に合理的な社会を作り上げることができたのだ。

 今、社会に男性はいない。人権を持っているのは女性だけで、男性は犬や猫のような愛玩動物として飼うか、もしくは単純な労働力として扱うような役回りになった。

 基本的には女性しか新たに誕生しないことは知っているだろう。

 現代社会のシステムをおさらいすると、初潮を迎えた女性は国家に卵子を複数提供した後、出産する能力がなくなる薬を投与する。提供した卵子は丁寧に保管され、提供者が成人した際にその卵子に希望の遺伝子を組み込んで新たな人類を発生させる。五歳になるまで国が管理して育成し、長したら卵子提供者に子供を受け渡して成人するまで育てることになるのだ。

 つまり、一人の女性につき一人の子供を育てることになる。それによって人口は一定を常にキープし、安定した社会を形成することができるのだ。

 男性はというと、希望があれば予備の卵子を使って誕生させることができる。可愛がりたいのか、原始時代の馬や牛のように労働力がほしいのか、理由はそれぞれだが購入することはできる。ただ、社会の一員ではない。男性なのだから、それはそうだろう。

 何故僕がこんなことを説明したのか。当たり前の事を今更と感じる人もいるかも知れないが、しっかりと意味はある。

 その昔、女性が権利を求めて立ち上がったように、男性の権利を求めて立ち上がった人がいると知ったからだ。

 その女性は穏やかで知的な人だった。話をしてもどこかおかしい人だとは感じられない。

 こんな会話をした。

「何故男性に権利が必要なのですか?」

「どちらも同じ人間でしょう。あなただって権利を迫害されたら嫌な気持ちにならない?」

「それはなりますけど。例えばです。僕達人間と猿とでは、人間社会において同じ権利を有さないですよね。それと何が違いますか?」

「地球では強いものが優先されて権利を持つから、猿とは違うわ。でも男性は生物学的に見たら同じ人間なの知ってる?」

「知ってはいますけど、現代社会においての男性は、愛玩動物か家畜という価値ですよね。つまり、他の動物と同じ程度の権利しかなくてもいいのではないでしょうか」

「その前提がおかしいことに何で気づかないのかな。私は不思議なの。男性も女性も同じように成長してきたはずなのに」

「進化したんです。進化するということは何かが失われることでもありますから。暗闇の洞窟で生息する虫の目が退化したみたいに、男性を切り捨てて進化したんです」

「それが果たして健全だったのかしら。私にはそうは思えないの」

「それはもう、持ってる思想の違いですね」

 「あなた、そんな言葉で片付けてしまうのね。残念」

 そう言って彼女は微笑んだ。

 そんな話をしてから僕なりに考えてみた。

 男性に価値があると信じることができない。人類を継続させる力もなければ女性以上に社会に貢献できるわけでもない。劣っているなら女性だけの社会になった方が合理的なのだ。

 つまり、合理的である必要がないと言いたいのだろうか。そういう思考にどうしてもならない。社会が悪くなるだけではないか。それで生きづらくなるのは人間なのだ。

 やっぱりどうしても理解できないと、後日彼女に話した。

「そう。仕方ないわ」

「理解されなくてもいいんですか?」

「人と人とは完璧にはわかりあえない。それが本来当たり前なんだから。残念だけど」

「そうですか。理解できなくて申し訳ないです」

「申し訳ないって思ってくれてるなら、邪魔だけしないでほしいかな」

「邪魔ですか? なんのです?」

「私、お腹出てるでしょ。気づいた?」

「こう言うのもなんですが、気づいてはいましたけど。太りました? なんて言えませんから」

「太ってはいるんだけど、これはね、子供がお腹の中にいるからなの。ただ怠慢で太ったわけじゃないわ」

「どういうことですか?」

「本来あるべき姿の出産をするの、これから」

「ありえません」

「私はあなたと違って悪い女だから、小さい頃から夢見てたの。こうなりたいって。だから避妊薬も飲まなかったし去勢してない男性も匿ってるの」

「犯罪ですよ?」

「だから悪い女だって言ったでしょ。犯罪をするから悪い女なの」

「これを黙っておけということですか?」

「あなたに任せるわ。あなたのことだもの」

「だったら何でそんなこと僕に教えたんですか? 黙っててくれると思ったんですか?」

「なんでだろうね。わからないけど、あなたには言ってもいいかなって」

「犯罪は報告する義務があります。報告しますよ?」

「あなたの好きなように」

「わかりました」

 犯罪を知ったからには国に報告する義務がある。そうしなければ犯罪を幇助したとみなされ、僕まで犯罪者になってしまう。

 それでも、なかなか報告しようという気になれなかった。何故だろう。彼女が悪い人に見えなかったのかもしれない。

 しばらくして、子供を出産したと聞いた。

「見て。私の生んだ子供。可愛いでしょ。女の子なの」

「こんなに小さいんですか?」

「赤ちゃんだから。あなたもこのくらいのサイズだったときがあるのよ」

「初めて見ました。子供って五歳からしか育てられないので。それ以前ってこんな小さいんですね」

 本当に小さかった。玩具みたいに小さい手なのに、はっきりと意思を持っている。指を差し出すと弱々しい力で握るのだ。簡単に握りつぶせそうな頭部には、僕らと同じように脳や眼球といった臓器がある。

「あなたに見てもらえてよかった」

「何故ですか?」

「私のこと、好きでいてくれた?」

「あの、質問の意味がわかりません」

「意味がある質問ばかりじゃないのよ」

「そんなのは、無意味です。無意味なことを僕はしません」

「あなたならきっとわかるときがくるから」

 大きな音がした。何かが破壊されるような音。大勢の人が近づいてくる気配。

 それを察して、彼女は小さな子供を抱きしめた。言葉にならない音を発して、子供は何かを伝えた。

「我々が来た意味、わかりますね」

 突然現れた黒尽くめの集団の一人が尋ねた。

「さて、私に何か用かしら?」

「あなたが持っているもののことですよ。回収します。あなたも連行します」

「あら、そうなの。好きにしたらいいじゃない」

「それでは大人しく渡してください。我々も無意味に事を荒立てたくはないのです」

「ちょっと気に食わないことがあるの」

「話は後で伺います。とりあえず、渡してもらわないと」

「私の子のこと、ものって言いましたよね。そんな言い方する人に預けられません。何かするなら抵抗します」

 その言葉を聞いて、黒尽くめの一人が何かを手に持った。なんの躊躇もなくそれを使用した。

 炸裂音とともに彼女が跪いた。子供を大切そうに抱えながら。

「確保!」

 その声と共に、数人の黒尽くめが彼女に近づき、両手で抱える子供を引き剥がした。そして、彼女を腕を後ろ手に回し、手錠で拘束した。

「こんなことしたくないんです。でも仕方ないですから」

 黒尽くめに引きづられていく。

 僕は蚊帳の外だ。動けない。

「返しなさい!」

 彼女は震える脚で力強く地面を蹴り上げ、子供を持った女の脚に噛みついた。その痛みで悲鳴を上げる。

 噛みつく彼女を引き剥がそうとする。二人がかりでもどうしようもない。

 たまらず一人の女が彼女のお腹を蹴り上げた。嗚咽のような声とともに顎が緩んで引き剥がされた。

「私の子を返して!」

「話は後で聞きますから」

 そのまま暴れる彼女を抑え込みながら連行していった。

「あなたはあの方の知り合いか何かですか?」

 リーダーと思われる女に話しかけられた。

「何かと聞かれたら、知り合いですね」

「通報された方ですか?」

「いえ、違います」

「このことは知っていましたか?」

 僕は天井を見上げた。

 天井がなければ空を見上げられたのに。

「いえ、今日初めて知りました」

「そうですか。お騒がせしました」

「あの」

 去ろうとする女に話しかけざるを得なかった。

「何ですか?」

「あの、この後どうなるんですか?」

「裁判にかけられて何らかしらの刑が執行されます」

「いえ、あの、子供はどうなりますか?」

「処分されます」

 それだけ言い残して去っていった。

 何でこの事実を僕が残したかったのか。

 わかってもらえるだろうか。

 そう、後悔しているからだ。

 あの時守ってやれなかったことに。

 嘘をついたことに。

 理解できなかった自分に。

 あんな小さな手で。

 僕を握ってくれたのに。

 殺されるかもしれない。

 それでも、やり遂げたい事ができたのだ。

 その昔、女性が権利を求めたように。

 彼女のように。

 強くて勇敢に。

 何かを変えたいと。

 そう思ったのだ。

 空を見上げる。

 雲一つない空。

 あの弱々しい手で。

 掴み上げてくれているような。

 そんな錯覚が、僕を鼓舞した。

@kenshira1121
毎日一作品投稿する、予定。