なんて君は美しいんだ。三平方の定理のようにシンプルで、黄金比のような永久に答えにたどり着かない無限感も兼ね備えている。矛盾を同時に抱えながら、それを感じさせないほどナチュラルに溶け込んでいる。素晴らしいバランス。
何を持ってして美しいか。本来美的感覚は人それぞれだが、君のその美しさはきっと万物に共通した感情を抱かせるに違いない。それくらい非の打ち所がない。
こんな言葉だけで僕の気持ちなんて表現しきれてはいない。一番わかりやすい言葉は、美しすぎる、というただその一言。
雪の降り積もるある日の夜、僕は君を遠くから観察しながら、そんなことを考えていた。
吐く息が白い。気温が低いため、体外に排出される息がその温度差によって可視化される。それは空中を漂いながら上昇し、大気と調和して消える。なんだか心の中を覗かれているような気がして、僕は無意識に口を手で塞いだ。
車が行き交う交差点。その歩道の片隅に君はいつも立っているね。いつも同じ表情で、いつも同じところを見つめてるのを、いつも僕は見ているよ。
近付き難いけど吸引力がある。そんな君を、車道を挟んだ反対側から僕は見ている。
雲が自重に耐えきれず、その欠片を少しずつ手放して、ひらひらと舞い落ちている。車道に落ちたそれは、走り去る車のタイヤによって瞬間的に消滅する。
でも、君の足元を彩るその花は、雪を受け入れて支える。誰にも邪魔されずに。
君はもういないんだと、ずっと気づいていた。僕が愛した美しい君は、もう存在しない。美しい思い出とともに、僕の中にだけ存在する。
いや、そこに君はいるじゃないか。少し駆け寄って手を伸ばせば、また君に触れられるかもしれない。
そういう可能性を僕は信じている。証明したくないから、僕はきっとここで君を観察して満足した振りをしているんだろう。
今日は雪のせいでいつもと違うキミに逢えた。雪というノイズ越しに見る君は、本当に儚いものなんだと気づかせてくれる。余計なおせっかいだ。
いや、僕は気づいていたんだ。日に日に君が儚くなっていくのに。
感覚ではなく現象として、君は消えていっている。昨日の君より今日の君は、ずいぶんと薄いんだ。君の背後がはっきりと認識できるくらい、君の存在が減少しているんだ。
降りしきる雪の結晶が、君を削り取っていく。あぁ、君は今日、きっといなくなるんだろうな。僕を残して君はどこかへ行くんだろう。たった一人僕を残して。
なんとなくそんな予感がして、気づくと僕は、君に吸い込まれるように近づいていった。
※
あなたはいつもそこにいるね。あなたがずっとそこにいるから、会いたくて、忘れたくなくて、ずっと一緒にいたくて、私もここにいる。
今年初めて雪が降った。それほど今日は寒い。私は凍える手を暖めるために、両手を口の前にかざして息を吐きかけた。
かじかんだ手に少しだけ血気が戻る。血液が循環して、真っ白だった指先が息を吹き返した。こんなにも寒い夜でも、あなたはこっちを見つめてくれている。
一瞬たりとも私から目を離さないあなたのその視線を感じて、なんだか頬がくすぐったくなった。これも全部雪のせい。
あなたはいつも変わらない姿でそこにいてくれたね。
本当に嬉しかったんだよ。
これは嘘じゃないよ。
でも、もう行かないと。
私が甘えてただけなんだよ。
ごめんね。
一番大好きだったけど、私行くね。
そう心の中で唱えると、私は彼に背を向けた。
私の中に音と光と思い出が、一気に入ってくる。
不意にやってきて、私をどうしたい? 私はもう行くと決めたんだよ。これじゃ、ずっとこのままなんだよ。
怖くて目を閉じた。
すると私を、暖かいものが包みこんだ。
その暖かさが、私に纏わりついていた雪を溶かしてくれた。
「さよなら」
誰にも聞かれないように小さな声でつぶやいて、私はその場から消えた。
※
視界がブラックアウトした。映画が終わってエンドロールが流れる一瞬の隙間が永遠に続いているかのような、そんな感覚。
僕は君と同じ世界にいないのだなと、ようやく確信できた。
寂しいなと思いながら、美しいと感じてしまった。
僕と君の関係は、完璧な美しさを保ったまま終わった。きれいな締めだ。
感謝しきれないほど、僕は幸せに満ちていた。最期に美しい君に逢えた。
なにもないこの空間で僕はありがとうと叫んでみた。
大気もないこの空間で僕の言葉は音になるはずもなく、ただその想いだけが放出され、霧散して、何事もなかったかのように消滅していった。