「秘密にしてた事があるんだ」
彼女にそう告げられたとき、一瞬血の気が引いた。
確かに謎めいてはいた。いつ連絡しても直ぐに返信が来るし、仕事のことを聞いても話をそらされる。僕と一緒にいるとき以外の彼女の生活が全く見えなかった。
それでも、僕は彼女と一緒にいた。信頼されてないのかもしれないと考えながら、いつかきっと心を開いてくれると信じて。
というのは建前かもしれない。本心は、彼女はスタイルもよくて美人で優しくて、身につけている物も高級でお金もある程度持っている。他の男から見たら羨ましすぎるほどのスペックを持っていて、それが誇らしかっただけかもしれない。
その秘密が仕事か家庭環境にあるのではないかと察してしまった。今まで目を背けてきたことに僕の心が耐えられるのか自信はなかった。
「言ってなかったよね、仕事のこと」
彼女のその言葉を聞いて、胸に激痛が走った。彼氏に言えない仕事。それは、まぁそういうことなのだろう。
「私ね、涙を流す仕事をしてるんだ」
よく理解できなかった。てっきり夜の仕事なのかと想像していたからだ。
「えっと、それはどういうこと? 泣いてしまいそうなくらい大変な仕事、という意味での比喩表現?」
なるべく動揺していることが悟られないように平静を装う。
「ううん、違うよ。涙を流してお金をもらってるの」
「ごめん、まだわからない。つまり、何ていうか、女の子の涙が好きな変わった人がいて、涙を流すとお金がもらえる。みたいな?」
「私もよくわからないんだけどさ。そういうことなのかもしれないし、違うかもしれない」
「自分の仕事のことだよね。せっかくだからちゃんと教えてよ。本当はあれでしょ。そういう特殊な風俗店みたいなところで働いてるって、そういうことでしょ」
「そうじゃないの」
そう言って彼女はうつむいてしまった。
僕も感情的になってしまったと、すかさず反省した。しかし、彼女が言っていることを素直に受け止めるとそういうことだと疑わざるを得ない。
「じゃあ、役者とか? 泣く演技に特化した。人はそう簡単に泣けないから需要はあるかもね。可愛いし」
一応フォローしてみる。無意味かもしれないけど。
「そうじゃないの。私だってわからないの」
彼女が顔を上げる。その潤んだ瞳から一筋の涙が溢れていた。
確かに彼女はよく泣いていた。感動する映画を見たとき、痛ましいニュースを知ったとき、喧嘩したとき。彼女はよく泣いていた。
「こうやって泣くとね、知らないうちにお金が振り込まれるの。私の銀行口座に。わかんないよね。だから言えなかったんだ。ごめんなさい」
彼女の話はこうだ。
ある日突然自宅の郵便ポストに一通の封筒が入っていた。差出人の名前もない真っ白な封筒。中にはこう一言書いてあったそうだ。
【今日からあなたが涙を流したら、そのクオリティに応じた報酬を振り込ませていただきます】
最初はイタズラかと思って放置していたが、気づいたら銀行の残高が増えていた。勘違いかもと疑う余地もないくらいな金額が振り込まれていたそうだ。
それを知って彼女は働いていたカフェをやめ、なるべく泣くような生活を送った。
一度泣く事に、その翌日か翌々日にお金が振り込まれていた。しかし、その金額は決まっておらず、振り幅があるようだった。
クオリティに応じた報酬。そのことを思い出すが、彼女にはそのクオリティの良し悪しはわからなかったそうだ。
「わかった。一旦信じるけど、なんで今さら急に教える気になったの?」
「私、最近泣けなくなってきちゃったんだ。ほら、気づいてたと思うけど、私よく泣くでしょ。でも家で一人でいるとき全然泣けないの。だからどうしようってなっちゃって」
「別にいいんじゃん。よくわからないんだけどさ、それって仕事と言えるかよくわからないし、そんなのに頼らず自分の力で稼いだ方がいいと思うんだよね」
「じゃあ私が今までしてきたことって仕事じゃないの? お金をもらってるんだよ。誰かが必要としていることなんだよ。私がやめたらどうなるの?」
「じゃあどうしたいの? 僕に言ってきたってことはなにかしてほしいってことでしょ?」
「結婚しよ」
「えっ」
「ずっと一緒にいたい。私ね、あなたがいると泣いちゃうの。そんな人今まで出会ったことがない。ずっと一緒にいた方がいいって、そう思ったんだ」
それから程なくして、僕らは入籍した。
入籍してから、僕はやっていた仕事を辞めた。それは、彼女の言うことが全て本当だったからだ。
確かに多額のよくわからない入金が頻繁にあり、その金額は僕の働いて貰える給料と歴然とした差があった。僕が働かずに彼女のフォローをし、彼女のその収入だけで生活する方が効率的だし彼女もそれを望んでいた。
それから僕は彼女が泣く度にその状況をメモし、振り込まれる金額と紐付けして、涙を流す条件と報酬の因果関係を探った。より効率よくお金を稼ぐには質の良い涙を流す必要がある。それを知らないことにはもったいない涙を流すことになってしまっても気づけない。
何と向き合って涙を流したか、どのくらい泣いたか、泣いた場所など逐一メモした。
そしてある程度目星がついた。
涙の量は関係がない。場所も関係がない。重要なのは何故泣いたかだった。
高いクオリティの涙とは、苦労して時間をかけて無理やり流した涙だった。
泣けるような映画の数には限界があるし、いつも泣かせるニュースがあるわけでもない。そういうときは悲しいこととか辛いことを思い出して泣いてみることもあったのだが、そのときの涙が一番高報酬だとデータでわかったのだ。
それからというもの、僕は彼女に無理やり泣いてもらうことにした。高報酬ということはそういう物を求められているのだ。彼女もそれを理解し、喜んで泣いた。本当に一生懸命泣いた。彼女が泣くことに集中できるよう、僕は彼女のために動いた。
そして僕らの暮らしは豊かになっていった。高層マンションの最上階を購入し、高級な車を買った。本当に満足のいく生活ができた。
結婚して二十年。一通の封筒が届いた。
それにはこう書かれていた。
【あなたのお陰で涙の量が一定まで達しました。ご苦労さまでした】
その日から、いくら泣いてもお金が振り込まれることはなかった。いろんな方法を試したが、意味などなかった。
僕らの関係とはなんなのか。そんなことを思った。
今までの稼ぎがあるから生活には困らないだろう。貯蓄も運用もしている。しかし、二人の絆はもはや何も無い。
彼女は抜け殻のようだった。求められていたはずなのに、それがなくなってしまった喪失感から塞ぎ込んでしまった。
僕らは別れざるを得なかった。僕も彼女も、ただ利用しあっていただけだったのだ。僕は暮らしのために、彼女は自分の誇りのために。
これでよかったのだろう。このまま一緒にいてはいけないんだ。
その後彼女がどうなったかは知らない。生きてさえいてくれたらいいなと心の底から思っている。