仮に、命にはすべからく魂というものが宿っていたとしよう。さて、その魂には質量はあるのか? どうだろう。魂には情報が含まれる。何かを記録し発信するために身体を媒体として宿るなら、魂自体にも質量があると考えるのが普通だろう。
さて、魂とは何なのか。命を継続させる力が魂にあるのなら、それはいつ生まれたのだろうか。人が生まれる時か? それとも輪廻転生の原理を採用して、規定の数が常に存在して、それが循環しているだけにすぎないのか?
確信できる根拠はないが後者であろうと推測する。生まれた時に発生するということは魂は身体に依存しているわけで、そうなると死んでしまった者の魂はその瞬間に消えるに違いない。つまり、魂というものの存在を定義する必然性がなくなってしまう。
魂というものが存在すると仮定するなら、魂というものは身体の有無に関わらず存在すべきであり、即ち今現在も周囲に揺蕩っているのではないかと想像できる。話が飛躍しているだろうか?
では話を戻そう。質量があるか否か。魂には情報や思想が含まれているからそれをとどめておく媒体が存在すべきだし、要するに質量は存在すると思われる。何故そのことを議題に上げたのか。それがどう問題なのか? それを今から話そう。
質量がある魂が常にこの地球に揺蕩っているのであれば、それにも当然地球の重力がかかってくる。さて、その質量がどの程度のものなのか。空気より軽いのか、同程度なのか。例えば幽霊というものの存在が確認されていたりする。それの正体を魂だとした場合、それは少し浮いていたり、浮いていなかったり、要は地表辺りに存在するそうなので、空気より軽いということはないだろう。しかし、人が積極的に触れることができなかったり、場合によっては触られたりもする。不可解だ。
もしや魂には質量がある状態とそうではない状態があり、その両方の性質を持つものなのか? しかしそんなものの存在は理解し難い。
安定していない、と捉えた方が良いのかもしれない。そうか、だからか。だから生まれたばかりの人間は不安定なのか。魂がまだ定着しきっておらず、安定していないが故にバランスが悪くなるのか。ならば受け入れるしかない。魂が存在すると仮定すると、それには質量がある状態とのない状態の二つの形態を常に維持し、人に定着する際、その形態の不安定さを身体が許容するまではやむを得ず混沌とする。それでいい。そうだろう? 話が飛躍してすまない。理解してくれると信じているよ。
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男はカメラを持ちなが無意識に口を開けてしまった。カメラの録画を止めると、目の前の幼き我が子を見つめた。
「初めて喋ったかと思ったらそれかよ……」