なんてことだ。いつもそうなんだ。何故会えない夜に限って、僕は洗練されているんだ。
今この瞬間の僕は、過去の僕を秒速三十万キロメートルで置き去りにするくらい、明らかに抜きに出ている。
程よく余計なものが省かれ、必要な部分は仕上がっている。理想の僕に限りなく接近していて、比べてみたら一卵性双生児より見間違うほどだ。
そんなアルティメット状態の僕が、何故今ここで一人でいるんだ。何故誰にも会えない夜なんだ。
誰か会えないかと一生懸命に弄っていたスマートフォンを机の上に置いた。天井を見上げてため息を一つつく。
今なら誰にだって負けないのに。誰もが魅了される僕なのに。
これは人類全体の損失ではないだろうか。ここまで出来上がっている男を一人放置する社会構造そのものが間違っている気がしてならない。意図的に機会を損失させられてしまっているみんなに申し訳がない。
とにかく、この最悪な現状をどうにかしなければならない。このまま誰にも会えない夜になるのはあまりにももったいない。
もっと積極的になる必要がありそうだ。そうだ。僕も悪かったのだ。今の僕の状態があまりにも美しいから、待ちの姿勢で問題なくいられると思ってしまっていた。社会そのものが腐敗していることはわかっていたのに。
そう決めると僕は軽快に立ち上がり、とりあえず服を着た。服というノイズが僕を濁すが、ここは仕方ない。法律は守らなければならないから。
白いシャツにジーンズというあまりにもラフな格好でも、突出した魅力が溢れてしまう。こりゃ、参ったな。僕以外が僕を見たら、きっと発光してるんじゃないかと錯覚するくらい眩しいのではないだろうか。
しかし、人のことを気に出来るほど時間はない。なんせ、今この瞬間が僕の究極形なのだから。次の瞬間、前までの僕程度になってしまうかもしれない。
ドアを開けて外に出る。
深夜のツンとした冷気が肌に突き刺さろうとする。攻撃的な刺激のはずだが、不思議と何も感じなかった。本当に不思議で、思わず首を傾げてしまった。
そのまま歩いて街へ躍り出る。実際踊ってはいないのだが、完成されたフォームで歩くとどうやら地面に愛されるらしく、吸い付くように歩行することになってしまい、結果客観的に見たら踊っていると勘違いされるようなステップになってしまっただけだ。モデルの歩行の理想形を意図せず上回ってしまったわけだ。
街に行けば誰かいるかもしれない。
この際本当に誰でもいい。男女関係なく、年齢の幅も設けず、とにかく今の僕を見てほしい。
遠くから見慣れない女性が歩いてくるのが見えた。しかし、歩き方が明らかにおかしい。フラつついているように見える。そして、やけにゆっくりだ。
もしかしたら、僕の存在を察して無意識に体が反応を示しているのかもしれない。このまま近づくのはまずいのかもしれない。人類の最高到達点と接近することが、もしかしたら後の人生に悪影響を及ぼすことになるかもしれない。残念ながら僕はその体験をすることができないから検証はできない。
どうする。このまま近づいていいものなのか。彼女の何もかもが崩れ去るかもしれないのだ。
しかし、今の僕は今しかいない。今しか表現できないのだ。
南無三と心の中で唱えて、女性の目の前に躍り出た。
俯いている女性がゆっくりと顔を上げる。
「ねぇ」
女性がボソボソと呟く。
「見て。私きれい?」
まじまじと顔を見てみる。
想像以上に綺麗な瞳で前例がないくらい肌が滑らかだ。それでいて、口が誰よりも横に長かった。両耳の下くらいまで唇があり、顎が簡単に取れてしまいそうなほどに。
それを見て僕は思ったことをつい口に出してしまった。
「実に合理的で機能的だ。君は僕が見た女性の中で最も完成しているよ」
その女性は大きな口をぽかんと開けて驚きを表現した。
「本当に? 嘘だよね?」
「嫌な気持ちにさせたなら申し訳ないけど、本当に思ったことが口から出てしまったみたいなんだ」
少しの間をおいて、その女性は目尻まで口角を上げて微笑んだ。
「嬉しい。ありがとう。救われた」
そう言うと、文字通りその場から消えてしまった。煙のように薄くなって、広がって、登っていった。
やってしまったな。
また、無意識に女性を救ってしまった。
こんなんだから神様は誰にも会わせないようにしたかったのか。
これも学びだな。