僕の唯一の友人はいつも微笑んでいた。
楽しいから笑うわけでもなく、嬉しいから笑っているわけではない。なんの意味もなく笑顔なのだ。常に微笑状態で生活しているので、その表情には、もはや感情などなかった。
周りからは不気味なやつだと思われていた。それは表情のせいもあったが、一言も喋らない特有の性質も関係していた。
友人の僕も声を聞いたことがなかった。なにか話しかけても声を出して答えてくれない。意思表示は、首を縦に振るか横に振るか、もしくは傾げるか、その三つしかなかった。
生まれつき声帯に異常があるといった身体に障害を持っているわけではなく、単に喋りたくないようだ。その証拠に、家族とは話すようで、時々友人の家に行くと母親が喋っていたことを教えてくれた。
そんなとき友人は母親の隣で頷いてみせたり、母親の腕を掴んで首を横に振って意思表示をする。
場面緘黙症という病気だと聞いた。よく知らなかったのだが、一定のストレスを感じたり不安を感じたりすると喋れなくなる症状の精神的な病気らしい。安心していたり何もストレスを感じない状況下では普通に喋るそうだ。こんなに一緒にいてもまだ僕になにかプレッシャーを感じているのだろうか。三年くらいの付き合いになるが、まだ喋っている声を聞いたことはなかった。
その日も僕は同級生にイジメられていた。トイレに連れて行かれ数人の男子生徒にお金をせびられる。正直数百円しか持っていないので黙って俯いていた。こんな中途半端な額を渡しても余計に反感を買うだけだと思ったからだ。
「金がないなら楽しませてみろよ。それで許してやるから」
そう言うと、一人の男は僕に服を脱ぐように命令した。他の男は笑いながら僕にスマートホンのカメラを向ける。
「早くしろよ」
そう言うと僕のお腹を一人が殴った。
「自分でやるんだよ。いつもお母さんに脱がしてもらってんの?」
少し我慢すればいいんだ。僕が我慢してればいつか飽きてくれるから。
「何だよこいつ」
そう言って彼らはトイレから出ていった。
トイレを出て教室に行くと、友人が一人座っていた。僕が声を掛けると立ち上がった。
いつものように二人で下校した。友人と二人でいるだけで不思議と僕に話しかける人もいなくなる。静かな方が居心地がいい。友人もそれを求めて喋らないのかもしれない、そんなことを思った。
公園のベンチに横並びで座り、いつもみたいに少し話した。
「今日も殴られたんだ」
微笑んで僕を見る。
「お腹殴られたんだ。見てみる?」
僕は服をめくってお腹を見せる。殴られた箇所が真っ赤になっていた。
「殴られたことある?」
首を横に振る。
「僕は毎日」
首を傾げる。
「どう思う?」
首を傾げる。
「痛そうでしょ」
首を傾げる。
「殴られてみたい?」
首を横に振る。
「僕も殴られたくない。でも殴られるんだ」
首を傾げる。
「なんでだろうね。なんで僕だけ殴られたくないのに殴られるんだろうね」
首を傾げる。
「僕が何も言わないからかな」
首を傾げる。
「君だって何も言わないのにね」
首を傾げる。
「僕は殴らないよ。友達だから」
首を縦に振る。
「友達じゃないから殴れるんだろうね。ひどいよね」
首を縦に振る。
「でも、友達でいてくれて嬉しいよ。友達がいるから我慢できるんだよ。僕のことをわかってくれる人がいるから」
首を縦に振る。
「友達がいなかったら、とっくにあんな奴ら殺してたよ。僕のために悲しんでくれる人がいないなら何でもできるからね」
首を横に振る。
「わかってるよ、そんなことしないから。ありがとう」
そう言うと、首を縦に振った。
ふと、友人にキスをしてみた。唇が触れる。その瞬間友人は震えた。顔を離すといつもの微笑み。
「ごめん。友達なのに」
首を横に振る。
「今日も撮っていい?」
首を縦に振る。
友人にスマートホンのカメラを向けて、いつもの顔を撮影した。
「帰ろうか」
二人で立ち上がり公園を出ていく。そのまま友人を家まで送った。
ここからは一人だ。一人でいるとなんだか街の声が大きく聞こえるような感覚になる。それが不快で、僕は友人の事を考えてみた。
いつも微笑んでいる。肯定してくれる。
先ほど撮影した友人の写真を見る。
この中でも永遠に僕に微笑みかけてくれる。何故か胸が高鳴り、僕も自然と笑みが溢れてしまった。
唇に手を触れる。友人の温もりがまだ少し残っているような気がした。