朱川夏彦は、所謂名探偵だ。いくつもの殺人事件に巻き込まれてきたが、それらをことごとく全て解決してきた。
僕はそれをそばでいつも見ていた。彼の唯一の友人だからだ。
事件に巻き込まれるということは何かしら他人と関わらないといけない。それが殺人事件となるとなおさらだ。僕しか友人がいない彼にとって、他人と関わる理由を作るのは僕しかいない。ほっといたらずっと家に引きこもっているような男なのだ。
そんな彼が、今日はなんだか浮かない顔をしてコーヒーを啜っている。馴染みの喫茶店だ。味に文句があるわけではないだろう。気になって聞いてみることにした。
「何か不満?」
カップを置いてこちらを見る。
「見抜かれてしまったか、ワトソン君。やるじゃないか」
彼は僕のことをワトソン君と呼ぶ。理由は聞いたことがない。
「悩みでもあるの? たまには僕の方から相談に乗ってあげようか?」
厭味ったらしく顔を近づけてみた。不快な表情になるかと思ったが何も変わらなかった。
「僕に聞かないでたまには君が考えてみたらどうだ?」
そう言ってまた一口、コーヒーを啜った。
確かにそうだ。僕はいつも彼の周りでウロチョロしてるだけで、結局どんな事件も彼が解決してしまう。僕だって僕なりに考えはするけど、いつも的はずれだ。
「わかった。その悩み、解決してやろう」
「解決してほしいわけじゃない。何を考えてるか当ててみて、という話だ」
そういうことか。当てた暁にはその悩みも解決してやるからな、そう思いつつ考えたみた。
「あれだろ。名探偵という称号はつまり、いろんな事件を解決しているから与えられてるわけだけど、そもそも事件に巻き込まれすぎていることに憂いている、そういうことでしょ」
「それは名探偵の宿命だよ。僕に纏わりつく運命であり、悩むようなことではない。君だって人間であることを悩んだってしょうがないってわかってるだろ?」
何だそれは。別に人間であることを悩んだっていいだろう。まぁ、僕は悩んでないのだけれども。
「友人が少ないこと。これでしょ」
「友人はいた方が良いが少ない方がいい。その方が快適だからね。君がいてくれたらそれでいいし、現状そうなのだから、むしろ満足しているよ」
考えても出てこない。だから僕はダメなのだろう。
「この一連の会話に答えが一部出ているのだけれど、気づかないかな。もう少し考えてみなきゃ、ワトソン君」
「ワトソン君って何? いつも言ってるけど。あまり好きじゃないんだよね、その呼ばれ方」
「知らない? 名探偵シャーロック・ホームズの相棒だよ。ホームズは彼のことをワトソン君と呼ぶんだよ」
「ホームズとか知らないし」
「それは、勉強不足ですらないね」
そう言うと、彼は美味しそうにコーヒーを飲み干した。
「で、わかった? あれだけ偉そうなことを言っていたんだ」
「ごめん、降参だよ。教えてよ、いつもみたいにさ」
彼は、ふぅと一つため息をつく。そして、いつもの目で僕を見た。
「君だよ、君。君のことで悩んでるんだよ」
僕? 何か悪いことをしたか? わからない。どちらかというと、一般的には変人な彼の友人でい続けてるんだから感謝しかないはずだ。
「僕の何がいけないの?」
「わかるだろ? 名前だよ」
名前? そんなのどうでもいいだろ。それにどうしょうもない。
「名前の何が不満なんですか、ホームズさん」
「さっき言ったろう。ワトソン君はホームズの相棒であり、僕の相棒ではないんだよ」
「僕はそのワトソン君ではないよ」
「じゃあどう呼べばいい? 和戸孫仁四(わとそん じよん)君」
「何でもいいよ。好きにしてよ」
「名探偵の相棒だという自覚はある? 君、ホームズの相棒にしか許されない名前なんだよね。なんだか僕を馬鹿にしてるようにしか見えない」
「名前をイジられても困るんだけど。嫌なら適当にあだ名で呼んで」
「それは難しいなワトソン君」
「だから、そのワトソン君っていうの止めて」
「何故?」
「君付けされると、なんか余所余所しいじゃん」
彼はカップを掲げてコーヒーのおかわりを要求した。
「それは申し訳ないね。君付けされるのが不満だったのか」
マスターがやってきて無言でカップにコーヒーを注いだ。
「ファーストネームに君付け。これは名探偵の性だから。諦めてくれ」
「じゃあその悩みは解決できないじゃないか」
「そんなことはないよ。君が役所に行って名前を変えたらいい。鈴木とかなんでもいいから。そしたら君のことをスズキ君と呼ぶよ」
「そんな、君の不満解消のためだけに名前は変えられないよ」
「だから、解決してほしいわけではないと最初から言っていただろう?」
そう言うと、彼は淹れたてのコーヒーを熱そうに啜った。