執筆日記45

kenshiro
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昨日の話。

・ツイッター上で漫画家さんたちがプロットの書き方について投稿しているのを見かけて、付箋を使う方法をやってみたくなったので、スーパーでノートと付箋を買ってきてやりはじめた。

・スタンディングで使っているプラカードがだいぶヘタってきたので、コンビニで新しい紙を印刷してきた。いつもA3のファイルのポケットにA3 の紙を入れて、見開きで2枚のカード(「STOP GAZA GENOCIDE」とパレスチナ国旗)が見えるようにしている。しかしそれだとファイルの背が横を向く形になり、とても持ちにくい。そこで今回は背が縦になるようにポケットに入れる紙のデザインを縦書きのものに変えた。だいぶ持ちやすくなった。

・ブルースカイでフォロワーさんが「あなたはどうして映画を観続けているのか」という主旨の質問をしていらして、自分はどうだろうと考えてみた。

私は高校生くらいまではSF映画が好きで、自分の空想の範囲を広げてくれそうなものを好んで観ていた。その後大学で映画史の講義を受講し、ウェルズやキートン、黒澤などの作品を見て「よくできたものを見た時の喜び」を感じたことがきっかけで、今もそれを求めているというのがある。

『ロマネスクの宇宙——ジローナの《天地創造の刺繍布》を読む』(金沢百枝、東京大学出版)という本に

「一つの作品と対峙したとき、真に心を打つのは、図像の意味内容ではなく、作品そのものが放射するエネルギーにほかならない。」p.283

という一文がある。私はこの文章がとても好きで、この考えにすごく合点がいく。自分が映画や文学や音楽に触れる理由もここにある。私は良くできた作品から放射されるエネルギーに心を打たれることで、自分の心とか魂といったものの存在を確認しているところがある。人には心があるというのは当たり前のことなのだけれど、実感として忘れてしまいがちだし、時には本当にそのことがわからなくなってしまう場合もあって、それは恐ろしいことだと思う。決して馬鹿にできない。個人的には嘘ばっかりついているとそういう大事なことがわからなくなってきて、そのままにしておくといずれ大変なことになると思っている。それから、心や魂といったものが自分だけに特別にあるのではなくて、当然他の人々にもある(そしてそれらが虐げられてしまっている場合もある)とわかることも大事だ。だんだん話が抽象的になってきたし、終わらなくなりそうだ。

ともあれ、芸術作品には人の心を打つことができて、映画にもそれができることがわかっているので、その信頼を下に私は映画に関心を寄せているのだと思う。でも普段はそこまで考えてなくて「なんか面白そうだぞ」と思ったら見るくらいの気持ちでいる。