午後から熊本市中心街で開催された「パレスチナ人ジェノサイドに反対するスタンディングアクション」に参加してきた。今日は開始してすぐに参加者の方からスイカのワッペンをいただいた。参加者は10人ほどだった。その中に、巨大な横断幕を持ってきた人がいてものすごく目立っていた。かなり大きかったので幾人かで交代しながら二人がかりで広げて持った。それから途中でスピーチをしませんかと主催者の方に声をかけられたけれど、臆して断ってしまった。やっぱりちゃんとスピーチの原稿を用意しておかなくてはいかん(前に書いたものはボツにした)。原稿があっても読めるかどうかはわからんけど。今日は25℃以上あってとても暑く、日差しを遮るようにしてプラカードを掲げ持った。この分だと夏が来る前に立っていられなくなりそう。それよりも前に停戦が締結されてパレスチナが解放されることを願うが、なんだかより酷い方へ進んでいるようで、気が滅入る。
スタンディングが終わると、熊本城の方へと歩いてその先の橙書店に向かった。すると、書店の近くにある広場で共同親権の法制化を求める団体(とはいえ沢山の幟があるわりにその場にいて演説している人は1人だけだった)がスピーチをしているのを見かけた。扇動するような高圧的な語り口が恐ろしかった(そういえば、スタンディング中にもいちゃもんをつけてくる人が来て、参加者の方に30分くらい延々と何か言っていた)。
その後、橙書店に着くと注文していた本を購入し、コーヒーを飲んで一服した。これが今日買った2冊の本。
私は大江健三郎の作品は小説だと『芽むしり仔撃ち』と『飼育』の二つしか読んだことがないのだけど、しばらく前に読んだ岩波新書の『新しい文学のために』にとても感銘を受けて、それ以来大江健三郎が創作について書いた文章を読んでみたいと思っていた。これがその本の中で特に好きな箇所。
「自然に対してであれなんにであれ、対象に向けて心が開いてゆく、その根本の力は想像力だと、僕はあらかじめいっておきたい。」
「開かれた心は、具体的な細部にわたって、自然の風景を生きいきと見る。閉じた心は小川や岩ぼことしてしか、それを見ることができない。」
大江健三郎 著『新しい文学のために』岩波新書 p.72より引用。
「同時代論集」は地元の図書館に置いていなかったので、今回は誕生日祝いとして奮発して買い求めた。これからじっくり読む。
執筆は今日は何もできなかった。