初夏の日記13

kenshiro
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公開:2024/5/28

最近全然作品を書けていないと思ったが、意外とそれに関することはやっていた。今日は以前書いた長編を短くするもののプロットを立てた。次は立てたプロットに沿って、既にある文章を添削したものを並べていく。それを頭から書き直す、っていう流れになると思う。

今日は図書館に行き色々と本を借りてきた。それとは別にカーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』の再読をはじめた。3度目か4度目になる。あらすじがだいぶ頭に入っているので細部に目を向ける余裕がある。この作品(作家のスタイル)のどこが好きなんだろうと気にしながら読んでいる。今日は読んでいて、今作は村上春樹が翻訳しているだけに語彙が村上春樹っぽいのだけど、読み進めている時に感じる語感やリズム(パラグラフ単位のリズム)は英語でマッカラーズを読んだ時のそれに近いと感じた。意図してなされているものだと思うのだが、どうだろう。

あとは何度読んでもアメリカ南部ミシシッピ州の田舎町の自然の描写がすごく熊本っぽい。例えばこれは最初の舞台描写。

町は深南部の真ん中にあった。夏は長く、寒い冬が何ヶ月も続くことはきわめて稀だった。空はほとんど常に鏡のようにまぶしい青色で、太陽は眩しく、激しく大地を焼いた。それから十一月の冷ややかな軽い雨がやって来て、そのあとで霜が降り、やがて短い寒冷期が訪れた。冬の気候は変わりやすかったが、夏はいつだって焦げつくように暑かった。

これ以外にも、折に触れて出てくる暑さの描写がつくづく熊本の街かと思うほど似ている。

第1部2章の冒頭も好き。

初夏のある暗く蒸し暑い夜、ビフ・ブランノンは「ニューヨーク・カフェ」のレジの奥に立っていた。時刻は真夜中の十二時、表の街灯は既に消えて、カフェの灯りが歩道に黄色のくっきりとした長方形を描いていた。通りには人影がなかったが、カフェの中にはまだ五、六人の客がいて、ビールかサンタルチア・ワインかウイスキーを飲んでいた。

カーソン・マッカラーズが書くのは流麗な文章ではなく、過不足ない端正な文章だけれど、読んでいるうちに背後に綺麗なリズムが静かに流れていることが伝わってくる瞬間があり、そこが凄くいい。本当に、裏の草むらに風が吹いた時みたいな文章だと思う。もっと他に良い言い方なかったんか…。でもそう感じるしな…。「さやかな」って書けばよかったのかもしれない。しかしな…。

それはそうと、ファンとしては『黄金の眼に映るもの』と『針のない時計』も新訳が出版されてほしいところ。