冬の日記10

kenshiro
·

今日はテレビのロードショーで初めて『ノートルダムの鐘』を見た。めちゃくちゃ面白かった。見る前は鐘つき男のカジモドに感情移入して胸が苦しくなりそうな気がすると思っていたのだけれど、いざ見てみると悪役のフロロ―判事の情念の炎にあてられてしまった。凄まじいキャラクターだった。歪み方が見事だった。そして物語の敵役を描くにあたって、べつに世界を征服したいとかいう動機を持たせなくても存在感のある悪役キャラクターは作れるんだと感銘を受けた。むしろこれからの時代に歪んだ社会構造を批判したい時は、フロロー判事のような有害な男性性を持ったキャラクターを描くことで、より効果的に批判できるんじゃないかと思った。そうすることで内部から変えていくようなアプローチを取るというか。

しかし面白かった。前半吹き替えで見て途中から字幕で英語音声にしたので、次は頭から英語で見たい。フロロ―判事、『ウルフウォーカー』に出てきた護国卿デザインに影響を与えていそうな感じだ。でも護国卿はフロロ―みたいな情念は見せなかったので(とにかく冷たかった)、キャラクターは似ているようでたいぶ違う。

以下は日記。

朝からサトクリフの『ともしびをかかげて』の終盤を読んで、夕方に全部読み終えた。とても面白かった。この作品のストーリーは英雄冒険譚の定型に合わせて構成されていると思う。自分も今そういう構造の冒険譚を書こうとしているところなので、どのポイントならエピソードを引き伸ばしたり繰り返したりできるのかなどを意識しながら読んだ。終盤に出てきたセリフがかっこよくてメモした。引用して今日の日記を終わることにする。

「われわれはいま、夕日のまえにたっているようにわしには思われるのだ。」ちょっと間をおいてユージーニアスはいった。「そのうち夜がわれわれをおおいつくすだろう。しかしかならず朝はくる。朝はいつでも闇からあらわれる。太陽の沈むのをみた人びとにとっては、そうは思われんかもしれんがね。われわれは『ともしび』をかかげる者だ。なあ友だちよ。われわれは何か燃えるものをかかげて、暗闇と風のなかに光をもたらす者なのだ」

『ともしびをかかげて』著ローズマリー・サトクリフ 訳 猪熊葉子