執筆日記9

kenshiro
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今日は午後から熊本市中心街のびぷれす広場前で開催された「パレスチナ人ジェノサイドに反対するスタンディングデモ」に参加してきた。

プラカード。上が「STOP GAZA GENOCIDE」下がパレスチナ国旗と、その下部に水色の鳩が印刷されたパッチと、右下に「停戦NOW」のパッチ。

私はスタンディングの列に加わって、自前のプラカードを歩道を行く人や反対側の百貨店の中にいる人、大通りを走る車や路面電車の中にいる人、交差点を行き来する人たちに向けた。目を向ける人もいたし、まったく見ない人もいた。どちらが多いとかはなく、同じくらいだったと思う。デモの参加者は全部で25人前後だった。デモ自体は平和的で、参加者は女性が多く、主催やスピーチを担当された方々も皆女性だった。各年代のあらゆる人々が参加していた、と書きたいところだが、10~30代の若年層の日本人の男性だけが一人もいなかった(34歳の自分を除くと)。若年層の男性は恐らく普段から社会問題に関心を抱いていなくて、今日びぷれす広場でスタンディングがあることさえ知らなかったのだろうと思う。けれども中にはチラシを受け取って、スピーチやデモ参加者の説明を熱心に聴いていく若い男性も数名いた(10~20代前半だったと思う)。帰り道にそのことがずっと気にかかっていて、「10~30代の男性。戦争になったら真っ先に弾除けにされて使い潰される年代なのに、その人たちが一人もいなかった。これは一体どういうことだろう」と思った。というか恐ろしくなった。

普段から周りを見ていてわかってはいたけれど、自分と同年代の30代の男性のことを考えると暗澹たる気持ちになる。威張り散らす割には自発性や当事者意識というものがないし、持たないようにしている。持っていると共同体から嫌われて追放されるような土地柄だからだと思う。じゃあどうしたらいいんだろうか。各人が属しているグループの偉い人が何か行動をおこせば、下のものはすぐそれに追従するとは思うけれど、それではダメで、やっぱり一人一人が当事者意識を持つことが不可欠だと思う。現実的な手段としては、まず身近なところにある冷笑に同調しないようにするところから始める、とかだろうか。

そういえばデモの主催者に今回のデモは警察から許可を取ったかどうかとか、その辺のことを尋ねておくのを忘れてしまった。自分で一人で立つ時の参考にしたかった。つい忘れて、デモが終わるとすぐに帰ってしまった。

その後、夜に父が風呂で浴槽から立ち上がれなくなって介助した。数日前から体調を崩しているらしく普段ならできる動作が今日はできなかった様子。それから今日は小説の執筆はしなかった。明日ここまでに書いた1幕を読み返してみて、どう構成(つうか設定のような気がする)を練り直すか考える。

今日は人生初のデモ参加だった。会場に着く前は緊張していたけれど、列の中に立つとすぐに落ち着くことができた。機会があればまた参加したい(一人でもできればと思うがなかなか難しい)。でも大きい音が苦手なので「コール」をするのは厳しかった。とりあえず頭数になるのが目的だったので、それができただけでもよしとしたい。