この話の結論は、今を生きようという話である。よくある物語のテーマになりそうな結論だ。それでも書く理由は、考えの整理のため。今はこう考えたというのをストックしておく。
先日イベント会場で友達が、病気で仕事から離れているらしいことを聞いた。その会場にいる人はみんな事業をどう伸ばすか、伸ばすためにどう課題を解決したらいいか、といった未来の話しかしていない場所で。
ラブ上等風にいうなら「食らったっすわ」の一言である。
というのも、40代も半ばになると友情としての好意があったとて、共通の趣味(ゴルフなど)がなければ頻繁に会うこともない。なので、年1回か2回程度飲みにいく程度。それでも人として尊敬できる友人の話は、考えさせられるものがあった。
少し経って、ごくごく当たり前にある「死」というものに向き合ってみた。その結果として、見えない時限性をもち、誰にでも訪れる平等性をもち、時限に到達するまでは連続性があるという要素がある。この3つの要素を眺めて出た感情は、いつ死ぬかよくわからないけど続くまでは成長したいなであった。
自分は、楽観で成長欲が高いのだろう。
今は成長できてるのだろうか?というとグロービスも終わって踊り場ではある。
今まで熱中したものを並べてみた。ロードレースは6年やって、ツール・ド・おきなわのリザルト 2桁がうれしいとか結果がわかるものは楽しかった。筋トレも過去の自分を超える重量が上がっていくのも楽しい。仕事も給与という形で数値が変化していくのも楽しい。並べたら全部同じで、成長が積み上がってそれが数字で見える。結局は同じ枠に入っている。つまり、計測できないものに、そもそも価値を感じていないようだ。
それで今どうしているかというと、今までやってこなかったことに手を出し始めている。楽しいかどうかは基準から外した。今まで面白いものしか選んでこなかったので、これは初めての選び方になる。とにかく、自分が知らないものにお金を使ってみて、自分の感情の揺れを観察しようと思う。書いてから気づいたが、これも計測だ。計測できないものに価値を感じないと言いながら、感情を観察対象にしているみたいだ。
子供が大学を出るまであと10年ある。その10年を完走できる保証がないと今回分かったから1日の密度を上げるしかない。とはいえ、何を削って何を入れるかまでは決まっていない。決めるには基準が必要で、それがたぶん志みたいなものなんだろう。今年は利他思考をテーマにしているけど、あれは行動のテーマであって、人生の話とは別だ。志は年単位でしか変わらないだろうし、焦って持てるものでもない。今はまだ小さいんだと思う。
死が身近になって考えたことが、結局どう死ぬかじゃなくて、あと何年動けるかと、その間に何を回すかの話だった。今を生きろというのは、たぶんこういうことではないのだろうけど、自分にとってはこの結論のようだ。