表参道にいそうだね。の考察

Kenta
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公開:2024/12/15

ぼくの外見は「表参道のオシャレなカフェでコーヒーを飲んでそう。」らしい。

この類のことは、大学を卒業し、日本に帰国してからいつも言われてきました。

今回はルッキズム的な問題提起ではなく、この現象は面白いな〜という雑感です。(いつかルッキズム編は書きたいですが。)

ちなみに、大阪に行くときによく言われる言葉は「お兄さんここの人じゃないでしょ。東京?」が多い。

少なくとも大阪の人ではない、ということはすぐにバレる。

これはつまり、「大阪っぽい感」と「そうじゃない感」を人々が知覚しているということになる。

ちなみに大阪の「お兄さんここの人じゃないでしょ?」は、最初はなぜバレる!と思ったけど今は何となくわかるようになった。

見た目も要因の一つかもしれないけど、大阪の方々からしか出ない特有の空気があると思う。あの"大阪感"というのが僕は大阪の強さであると思っているし、僕がすごく大好きなところだ。

話を戻すと、土地と人の外見や空気感が紐付いていく現象はなかなか興味深いな〜と帰国当時から思っていまして。

まず比較として、フロリダ時代を思い出します。

「いやー君はフロリダでもwinter park(オーランド市の地名)にいそうだよね!」

なんて言葉は聞いたことがない。フロリダは無さそうです。

次にニューヨーク。

「いやーニューヨークのブロンクスあたりにいそうな顔だね!」

んー、そんな言葉あるだろうか。いやでも「マンハッタンよりブルックリンっぽいね」ぐらいの粒度はあるかも。

さて、フランスだとどうでしょう。

「君はマレ地区にいそう顔してるよね!」とか言いますかね。フランス、パリの皆様、ぜひ教えて下さい。

アジアはどうでしょう。

「あー、メンテン(ジャカルタの高級エリア)とかに住んでるでしょ。」とか言いますか?ジャカルタの皆様、ぜひ教えて下さい。

なんか知らんけど、上海とかはありそう。知らんけど。(関西風)

ちなみに「タイはありそうかも。」と先日友人が話していた。タイの皆様、どうでしょう。

視点を日本に戻します。特に東京で興味深いのは、こういった外見と土地が密接に繋がること。

しかも土地の単位が細かい。

渋谷、恵比寿、表参道、代官山、中目黒、三軒茶屋…

大体一駅間の話であるのに、それぞれに違うブランドを背負っている。これは電鉄系企業の努力の賜物なのか、なんなのか。

東京に住んだことがないと馴染みがないかもしれませんが、一駅ごとに明確な色が着いていて、そこにいる人たちもなんとなく想像ついてしまう。これは興味深い現象だと思ます。

それに、割と住む人達も、悪い意味ではなくちゃんとプライドも持っていたりする。「ぼく恵比寿に住んでいますから!(ドン!※効果音)」って感じで。

この「土地と人の外見」トークですが、おそらく大学もありますよね。

青学っぽい。慶應っぽい。とか。

でもハーバード大学っぽい、イエール大学っぽいとか無い気がする。。

イギリスはケンブリッジっぽいと、オクスフォードっぽいとかあるだろうか。

ん、これは関西の大学もあるのかな?

「あー君は同志社っぽいね。」とか話しますでしょうか。関西の皆様、教えて下さい。

ぼくの好きな社会学者の岸政彦さんの本には、王将でご飯を食べているところを生徒に見られ、「先生より王将似合う人いないですね」と言われたエピソードが書いてあった。

これもありそう。

”王将にいそう感”

わかる。

でも王将にいそう感はわかるけど、ロイヤルホストにいそう感はわからない。

そうすると王将はちゃんとブランドとして成立していることになる。明確なターゲット顧客を設定できている。

すごいぞ王将。

そういえば食べ物系で行くと、「けんたさんラーメン屋さんとか行かなそうですね!オシャレなサラダとか食べてそうです!」とか言われますね。まあ好きですけどもね、サラダ。

しかしながら、食べ物と人の見た目が結びつく現象は他国でもあるのだろうか。これまた興味深い人の認知です。

さて外見と土地の話にもどり、東京の外に目を向けると、自分の地元の札幌ではあんまりない気がする。

「君は豊平区っぽいよね。」「君は白石(駅名)に住んでいそうだよね。」

そんなことは聞いたありません。

大阪は、"キタ"と"ミナミ"で、ありそうですよね。

キタっぽい感じは、ちょい洒落た感じ。(合ってる?)

ミナミっぽいのは、もうちょいカルチャー感ある。(合ってる?)

大阪の皆様、合っていますでしょうか。

(ちなみに、キタは梅田・大阪駅周辺や北新地、ミナミは道頓堀や難波駅周辺あたりってイメージなのだけど、そもそも合っているか不安になってきた。)

でも粒度で言うと、「キタ」と「ミナミ」ですからね。

やっぱり東京の一駅ずつ分解されているのはすごいことだと思います。

と言いつつ、

一駅ずつ分解されブランドを背負う現象は、東京のすべての駅で起こっているわけではない。中心部から少し離れるとそこまで細分化されていないのも面白い。

たとえば「三鷹と吉祥寺」とか、「蔵前と浅草」とか、「あ〜、はいはい、あのへんね!」という会話が通じる。つまり一駅毎のブランド化から、エリアのブランド化に土地の単位が大きくなる。

なんてことのない雑感でした。

いずれにしても、日本は外見と「何か」が結びつくが現象がやはり多いかもしれないなあ。単一民族国家ですしね。村社会の歴史も関係しているのかもしれません。

いや、興味深い。