2024年2月23日

kentaro
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昨日書くつもりだったのだが、忘れていた。休みのほうが、書くのが難しい。平日は通勤時に書くというタイミングを作りやすいが、休みだと決まったタイミングがないから。時間がないわけではない。「日記を書く」というアンカーをひっかけるとっかかりがない。

何かをしなければならないのにできずにいるときに「時間がない」といいがちなのだが、それは実は単にとっかかりを作れてないせいだったりするだろう。しかし、とっかかりのなさを自力で自覚するのは難しいから、「時間がない」と表現することになる。間違ってはいないから、訂正もされない。

子が、ギターの弦を引っ張ったり叩いたりして、鳴らして遊ぶことがある。リビングにギターを横たえておいたら、叩いたり、上に乗ったりして、遊ぶ。その様子を動画に撮っていたのだが、これを元に音楽を作ったら面白そうだと思って、DAWに読み込んで曲を作ったりしていた。

これが、子との初めての共作であろうか。「初めての」というと、これからも続くことが前提されているように思えるが、僕が親と何かを「共作」してきたという記憶はないから、あまりそういうこともないかもしれないし、それは単に僕がその方面に興味を示さなかっただけかもしれない。

しかし、日々の生活自体が「共作」ではあるのだが、もうちょっと何か形のあるものを明示的に作るみたいなのもあってもいいのかもしれない。とはいえ、子どものやったことをエクスプロイットするだけみたいな感じになるのも嫌だしなあ。難しいところである。